ミマール・スィナンとセリミエ・ジャーミィ Edirne TURKEY
ミマール・スィナン(Mimar Sinan 1489年-1588年)の作品群の中で、エディルネのセリミエ・ジャーミィ(Selimiye Camii)は、スレイマニエ・ジャーミィと並び称される代表作でしょう。どちらか一つ選びなさいと言われれば、スタジオヤマはセリミエ・ジャーミィに手を挙げます。
ミマール・スィナンとスレイマニエ・ジャーミィ Istanbul TURKEY
オスマン帝国の建築について語るとき、その時代の傑作と呼ばれている建築作品をとおして特徴を明らかにすることができます。さらに進めてスタジオヤマは、一人の建築家の作品をとおして、オスマン帝国建築の華を語ろうと思います。
その時代に生きたミマール・スィナン(Mimar Sinan 1489年-1588年)は、スレイマン1世に仕える宮廷建築家です、彼によってオスマン帝国の建築が完成の域に達したと言われています。
一つはエディルネのセリミエ・ジャーミィ、次回ブログします。
もう一つはイスタンブルのスレイマニエ・ジャーミィ(Suleymaniye Camii)です。
スレイマニエ・ジャーミィは、イスタンブルの一番高い丘の上に建てられています。
細長いミナレットを従えた大小のドーム屋根による形態は、金角湾を挟んで対岸の新市街から望むとき、イスタンブルの都市景観に君臨しているかのようです。
内部空間は、大ドームの前後に半ドームを架けて、左右は窓の多い垂直壁とし、アーチやドームなどの構造的要素とステンドグラスからの光とのアンサンブルが、ドラマチックな大空間を創ることに成功しています。
また付属するマドラサ(神学校)、医学校、病院、無料給食所、宿泊所、商業施設、ハンマーム(公衆浴場)などと、スィナン自身の墓苑を含めて、複合建築群を形成しています。
ミマール・スィナンをさらに詳しく知りたい方へ
夢枕獏の<シナン>がおもしろいです、小説ですからどこまで史実に忠実かどうかは別として、人間スィナンを語っています。
<MIMAR SINAN YAPILARY>は、主要作品を網羅した大部なプレートの実測図集です、イスタンブルのバザール横の古本屋さんを訪ね歩けば見つかるでしょう。
Suleymaniye Camii




イスタンブルのビザンティン建築 Istanbul TURKEY
イスタンブル(Istanbul)は、かつてコンスタンティノープルと呼ばれ、ローマ帝国、東ローマ帝国、オスマン帝国にわたって1600年もの間それぞれの帝国の首都でした。
15世紀東ローマ帝国を征服したオスマン帝国の建築家たちは、ビザンティン建築が持つ空間構成、構造などを、乗り越えるべき対象あるいは範として扱いました。
コーラ修道院聖堂(Chora Church /カーリエ博物館)には、14世紀に制作された、ビザンティン美術の傑作と言われているモザイク画とフレスコ画が遺されています。
描かれているテーマは、キリストの生涯や聖母にかかわる物語などです。



オスマン帝国の時代に、ミナレットやミンバルが増設されイスラームのジャーミィに改修されました。時のスルタンが参拝する第一級の格式を誇るジャーミィとして利用され続けたのです。
空間構成の最大の特徴は、室内中心部にある巨大なドームです。
高いドームのハイサイドライトから漏れるスポットライト状の光は、床や壁を照らし、祈りの場にふさわしい神秘的で、ドラマチックな空間を醸成しています。
エフェソスとヒエラポリスに古代都市の繁栄をみた Ephesus Hierapolis TURKEY
カイセリからエディルネまでほぼ20年ぶりにトルコ横断の旅をしました。
スタジオヤマは、悠久の風景・建築・人情味など魅力満載のトルコを楽しむため、いくつかの切り口を用意しました。
一つに 《古代都市遺跡 》 という切り口です。
古代ギリシアの都市国家や古代ローマ帝国は、地中海全域に多くの独立した植民都市としての都市国家を建設しました。アナトリア(トルコ共和国のアジア側)には、トルコを代表する二つの都市遺跡が残されています。
パムッカレ(Pamukkale)の純白の棚田のような景観は、地下から湧出した炭酸カルシウムを含む温泉水が、山肌を流れ落ちる際、炭酸カルシウムが長い年月をかけて沈積してできた石灰棚です。
ヒエラポリス(Hierapolis)は、パムッカレの石灰棚の上に広がる、ローマ帝国の古代都市遺跡です。紀元前2世紀に建設が始まり2世紀から3世紀にかけてローマ帝国の温泉保養地として最盛期を迎えました。
当時の公衆浴場、円形劇場、競技場、神殿などの都市施設が残され繁栄ぶりを今に伝えます。
また城門の外側には、死者の街と言われるネクロポリス(Nekropolis)が遺されています。
エフェソス(Ephesus)は紀元前11世紀ごろから建設が始まったイオニア人(古代ギリシア人)の都市国家です。紀元前2世紀には共和制ローマの支配下に入り、東地中海交易の中心都市として繁栄しました。しかし8世紀イスラム勢力の台頭により都市は放棄され終焉しました。
当時のエフェスは、東地中海最大の都市でした。
メインストリートであるクレテス通り(Curetes Way)を軸に、5万人を収容できるといわれている円形劇場、12万冊の蔵書を誇った図書館をはじめ、神殿、公衆浴場、住宅、娼館まで一通りの都市施設が保存状態の良い状態で遺されています。
Curetes Way