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首里城 琉球王朝の居城   Okinawa JAPAN

沖縄県には、琉球国時代の城(沖縄本島ではグスクと発音し城という漢字を当てます)が200箇所以上遺されています。その中から保存状態が良好で特徴をよく表している城を、鑑賞の手引きとなるキーワードを添えてブログしたいと思います。

〈 琉球国 〉  城(グスク)鑑賞4つのキーワード その1
琉球国は沖縄本島を中心に、1429年から1879年の450年間存在した独立国家です。
17世紀に薩摩藩の侵攻を受けた以降、対外的には独立した王朝として存在しましたが実質的には薩摩藩による支配下に入りました。
1879年、明治政府は琉球国を廃し、沖縄県を設置し王統の支配は終了しました。
太平洋戦争終了後の1952年より、アメリカの統治による琉球政府の軍政下に置かれましたが、1972年、琉球政府は沖縄県となり、日本へ復帰しました。
琉球国の城(グスク)が持つ造形美は、本土の城と比較して明らかに様相を異にしています。
その要因の一つとして、城創りの文化的基盤が、独立国としての独自性を失わず、本土の影響を受けながらも交易で摂取した中国文化、さらに東南アジアの文化をもチャンプルーした独特の文化を土壌とし発展してきたからでしょう。


《 首里城 》
那覇市首里にある首里城(スイグスク)は、沖縄県最大の城です。
15世紀前期から16世紀前期にかけて琉球国王尚氏の居城として築城され、以降1879年の廃藩置県まで、琉球国の政治や文化の中心としての役割を担いました。よって城の様態は、戦に備えた城郭というより、琉球国の政治や国家的儀礼および祭祀を執り行う宮殿です。
外郭からアプローチし最奥の奉神門をくぐると、家臣らが謁見したり中国からの使者を迎え入れたりするための御庭(ウナー)と呼ばれる中庭状の大きな広場に出ます。
御庭を取り囲むように、正面に王が執務する木造二層三階建ての正殿、行政施設である北殿、儀礼などに用いられた南殿などが配置されています。さらに正殿の後方には、御内原(ウーチバル)と呼ばれる王の私的生活空間が展開しています。

       首里城外郭 内郭 
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  首里城 御庭(ウナー)  150301-04

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      首里城 南殿

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     首里城 正殿 御差床(ウサスカ/玉座)

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