エジプト建築の精華 ギザでピラミッドを観た Egyptian Architecture of Giza
エジプトの建築をひととおり観て楽しんできました。
エジプト建築の魅力や特徴などなどをブログしたいと思います。
第1回目は、エジプトを代表する遺跡、ピラミッドです。
形態として完成されたギザのピラミッド群、そしてそれに至る様々な試みがなされたピラミッドをブログします。いずれのビラミッドも紀元前3000年から2500年の間に建てられました。






《ギザのピラミッド群 Pyramids of Giza 》
カイロ郊外にある都市ギザには、古代エジプト王朝の共同墓地が遺されています。
この共同墓地が世界的に有名なギザのピラミッド群です。つまりピラミッドとは王たちの墓標です。
3大ピラミッド、クフ王のピラミッド、カフラー王のピラミッド、メンカウラー王のピラミッド、それらに寄り添う王妃のピラミッド、そしてスフィンクスが砂漠の中で偉容を誇っています。
スタジオヤマは、ピラミッドを目の前にして対峙したとき、この過酷な沙漠という環境において、巨大でかつ施工可能な建築としては 〈 単純で幾何学的でマッシブな四角錐のかたち 〉 が最もふさわしいのではないか、と思いよせました。







《 階段ピラミッド Step Pyramid 》
これからブログするビラミッドは、いずれもギザのピラミッド群に到達するまでの様々な試みです。
サッカーラ Saqqara にある 〈 ジョセル王のピラミッド 〉 は、エジプトに現存する最古のピラミッドでしょう。マスタバ(方形で台状の墳墓)が階段状に積み重なっているのが特徴です。

《 赤のピラミッド Red Pyramid 》
ダフシュール Dahshur にあります。
名前の由来は、赤っぽい石材が使用されたためだそうです。石材の積み上げ角度43度です、51度のギザのピラミッドと比較して緩やかなのでちょっと迫力不足かな。

《 屈折ピラミッド Bent Pyramid 》
赤のピラミッドと同じダフシュール Dahshur にあります。
あるガイドブックによると、下部の積み上げ角度が急なため、施工半ばで継続不可能になり、途中から角度を変えた、と説明しています。
スタジオヤマはそうは思いません。鉱物の結晶に途中で角度が変わるものがあります、賢い古代エジプト人はそのかたちをヒントにデザインしたのではないでしょうか。
つまり最初から途中で角度が変わるデザインだと思います。

《 崩れピラミッド Meidum Pyramid 》
ナイル川から40kmほど離れた内陸部のメイドゥーム Meidum にあります。
当初は階段ピラミッドとして建設され、その後四角錐ピラミッドに改築されました。今見られるかたちは、表層部の石積が崩れ落ちた状態です。

エジプト建築の精華 ルクソールで都市遺跡を観た Egyptian Architecture of Luxor
エジプトの建築をひととおり観て楽しんできました。
エジプト建築の魅力や特徴などなどをブログしたいと思います。
第2回目は《 ルクソール Luxor 》都市遺跡です。
おおぜいの人々が生活する都市では、住むための住居、集まり楽しむための公共施設、神に祈るための宗教施設、死後の住まいであるお墓、そして道路や水道などの土木施設などなどが整備されて初めて都市として機能します。ルクソールにはこれらの都市施設が比較的よく遺されています。
ルクソールは、紀元前1600年ごろから始まる新王国の時代、それに続く紀元前1300年ごろから始まる新王朝の時代 〈 テーベ Thebes 〉 と呼ばれ古代エジプトで最も富裕な都市であり、政治的、宗教的、軍事的に中心をなす都市でした。
現在遺された遺跡はこの時代に建てられ、ナイル川を挟んで、東岸には 〈 生に関わる建築 〉 西岸には 〈 死に関わる建築 〉 が配置されました。








《 ナイル川 Nile River 》
古代エジプト語で大きな川という意味のナイル川は、ヴィクトリア湖よりさらに上流部を源としエジプトを南北に縦断するようにとうとうと流れ、カイロを経てアレキサンドリアから地中海に注いでいます。

《 古代エジプト建築、理解のヒント:葬祭殿と神殿の違い 》
類型をごく単純化すれば、ビラミッドとはお墓そのものであり墓標です。ただしテーベの時代では、盗掘から墓を守るため地中深く埋葬されたので、地上に墓標のようなものはなにもありません。
葬祭殿とは、ファラオ(王)の葬儀や各種の儀礼を執り行うための建築です。日本の葬儀場でいえば屋根付きの葬儀や告別式を行うあの建物です。よって原則、祭主であるファラオの名前が名称となります。
神殿とは、神に捧げられた建築です、信仰の対象としてお参りするおやしろです。
日本の神社の名称は立地する地名に由来するものがほとんどですが、それとは異なり祀られた神の名前が名称となるのが原則です。
まとめるとビラミッド、葬祭殿は 〈 死に関わる建築 〉 それに対して神殿は 〈 生に関わる建築 〉ともいえるでしょう。
《 デール・イル・マディーナ Deir el Medina 》
王家の谷を建設した労働者たちの住居が拡がっています。
現在遺されているのはここだけですが当時は各地にあったのでしょう。
遺跡を造った人々に敬意を表して最初にブログしました。

《 カルナック神殿 Temple of Karnak 》
ナイル川東岸に遺されたカルナック神殿とは、歴代ファラオが寄進しづけた神殿群の総称です。
中でもテーベの守護神アムンに奉げられた 〈 アムン神殿 Temple of Amun-Ra 〉 はカルナック神殿の中心をなす神殿でかつエジプトで最大規模を誇る神殿です。
列柱室が最大の見せ場です。
水辺や湿地などに生える水生植物のパピルスをモチーフにした柱が130本以上並んでいます。気持ちは、パピルスの群生の中に迷い込んだのかと思えるほどです。




《 ルクソール神殿 Luxor Temple 》
アムン神殿の副神殿として建設されました、よってスフィンクスが両脇に並ぶ参道で結ばれていました。
神殿の入口となる第一塔門には、1対のラメセス2世の坐像とオベリスクが置かれています。
パリのコンコルド広場にあるオベリスクはここから運ばれたかたわれです。


《 ハトシェプスト女王葬祭殿 Temple of Hatshepsut 》
ナイル川西岸にある遺跡を観ましょう。
古代エジプトのファラオのなかで唯一女性であったハトシェプストのための葬祭殿です。
1997年、日本人を含む60人を超える人が犠牲になったテロ事件の現場です。さらに政治的要因などが重なり永らく観光業は不振が続いていましたが、ここにきて2019年は観光客数が1300万人を超え過去最高に達するなど、急速な回復を遂げていると報道されています。


《 ラメセウム(ラメス2世葬祭殿 Ramessum (Temple of Ramess Ⅱ)》
ラメセス2世は、アブ・シンベル神殿など数多くの建築の祭主を務め 〈 建設王 〉 と言われています。
列柱室入口にはそのラメセス2世の像が4体並んでいます。

《 ラメセス3世葬祭殿 Medinet Habu 》
ラメセス3世は、古代エジプトで権威をもった最後のファラオと言われています。
戦争の場面を描いた保存状態がよいレリーフ(壁画)やヒエログリフ(神聖文字)が遺されています。


《 セティ1世葬祭殿 Temple of Seti Ⅰ 》
至聖所の部分が遺されています、アビドスにもセティ1世葬祭殿があります。

《 メムノンの巨像 Colossi of Memnon 》
一対の巨像はファラオ・アメンホテプ3世の像です、背後にはファラオ自身の葬祭殿がありました、のちに他の葬祭殿の石材調達ため破壊されました。

《 王家の谷 Valley of the Kings 》
荒涼とした岩山が拡がっています。24の王墓を含む64の墓が発見されている集合墓地です。
カイロにあるエジプト考古学博物館に収容されている 〈 ツタンカーメンの黄金のマスク 〉 は、この王家の谷で出土しました。


《 王妃の谷 Valley of the Queens 》
王家の谷はファラオの集合墓地です、それに対して王妃の谷は、ファラオの妻(王妃)と子供たち(王子、王女)が眠っている集合墓地です。

《 貴族の墓 Tombs of the Nobles 》
エジプト建築の精華 アブ・シンベルで巨人神像を観た Egyptian Architecture of Abu Simbel
エジプトの建築をひととおり観て楽しんできました。
エジプト建築の魅力や特徴などなどをブログしたいと思います。
第3回目は、アブ・シンベル神殿とナイル川上流から中流域の遺跡をブログします。
テーベ(ルクソール)以外の都市にもこの時代のすばらしい遺跡が数多く残されています。
《 切りかけのオベリスク Unfinished Obelisk 》
アスワンにある遺跡です。
すべての遺跡は人間の手作業で創られたのです、作業途中で放棄されたオベリスクです。
上面と側面をノミで切り出したのは見ればわかります、さて下面はどうやって切り出すのだろう、切り出したとして、一本ものの長さ40m重さ1200tもある巨大なオベリスクを所定の場所まで運んで、垂直に立てる作業はどうするのだろう、などなどを考えていると興味津々で時間がたつのを忘れます。










《 アブ・シンベル神殿 Temple of Abu Simbel 》
スーダン国境に近いナイル川上流部の都市アブ・シンベルにある遺跡です。
アブ・シンベル神殿のもともとの姿は砂岩の岩山から彫り取ることで創られました。ナイル川のアスワン・ハイ・ダム建設計画により、水没の恐れが生じたため、1968年遺跡を分割して現在のナセル湖のほとりに移築されました。同じ事情でカラブシャ神殿、イシス神殿も解体移築されました。またこの3つの神殿はヌビア遺跡群(Nubian Monuments)とも呼ばれています。
〈 大神殿 〉は、太陽神ラーに奉げられました。
正面に彫られた観る人を圧倒させる4体の巨人像は,建設王ラメセス2世の青年期から壮年期の姿です、足元の小さい像は王妃を含む王の家族です。


近くの 〈 小神殿 〉 は女性神ハトホルに奉げられました。
正面の立像は、ラメセス2世、王妃ネフェルタリそして王子と王女です、ここでもファミリーの勢揃いです。


《 カラプシャ神殿 Temple of Kalabsha 》
塔門から入ると、中庭、列柱室、一番奥の至聖所まで主要室が軸線上に展開していきます。


《 イシス神殿 Temple of Isis 》
多くの保存状態がよいレリーフ(壁画)やヒエログリフ(神聖文字)が数多く遺されています、見どころ満載の大遺跡です。


《 クヌム神殿 Temple of Khnum 》
ルクソールからアスワンにむけてナイル川を上がります、最初の街エスナにクヌム神殿があります。
土中に埋もれていたのでしょうか、まわりの市街地からそうとう下がった高さに1階レベルがあります。

《 ホルス神殿 Temple of Horus 》
エスナからさらにナイル川上流の街エドフにホルス神殿があります。
全体として保存状態が良好です。中庭には、頭に帽子をかぶった鳥のハヤブサ、体は男性で表わされたホルス神が鎮座しています。またホルス神のレリーフ(壁画)はいたるところで観られます。



《 コム・オンボ神殿 Temple of Kom Ombo 》
ルクソールからスタートして、上流にあるアスワンに最も近い街、コム・オンボに神殿があります。
他に例がないダブル神殿です。向かって右側半分はワニの神セベクに捧げられた神殿です、左側半分はハヤブサの神ハロエリスに奉げられた神殿です。二つの神殿が中心の軸を介して完全な左右対称に一見ひとつの神殿のように配置されています。

《 クヌム神殿 Temple of Khnum 》
アスワン市内を流れるナイル川のエレファンティネ島にあります。現在も発掘調査が続けられています。

《 ハトホル神殿 Temple of Hathor 》
ルクソールからナイル川を下ります、最初の街デンデラにハトホル神殿があります。
古代エジプトがローマ帝国の支配下になる前の最後の神殿です。柱頭にハトホル神(母性・生殖・出産・繁栄などを司る女神)の頭部を載せた柱が林立する列柱室が見どころです。神殿の後方外壁にクレオパトラのレリーフ(壁画)が刻まれています。


《 セティ1世葬祭殿 Temple of Seti Ⅰ 》
さらにナイル川を下った街アビドスにセティ1世葬祭殿があります。
葬祭殿の一番奥にある最も神聖な場所〈至聖所〉は、通常1か所ですが、ここでは7か所あります。


エジプト建築の精華 カイロでイスラーム建築を観た Egyptian Architecture of Cairo
エジプトの建築をひととおり観て楽しんできました。
エジプト建築の魅力や特徴などなどをブログしたいと思います。
第4回目は、カイロ歴史地区 〈 Islamic Cairo 〉 にあるイスラーム建築をブログします。
エジプトの古代王朝は徐々に衰退し、1世紀ごろにはローマ帝国の支配下にはいりました。
さらに時代が下り7世紀には、現代に続くイスラームの時代を迎えたのです。
カイロはその時代からアラブ世界および中東を代表する世界都市の一つであり、イスラーム世界の学術・文化・経済の中心都市であり続けました。
エジプトの建築といえばビラミッドや神殿など古代王朝の建築が注目されがちですが、カイロにおいては、イスラーム建築が質、量ともに圧倒しまさに 〈 イスラーム建築の宝庫 〉 なのです。
ブログする建築は遺跡ではありません、現代においても宗教施設として機能しています、また全てが世界遺産に登録されています。


《 スルタン・ハサン・モスク The Mosque of Sultan Hassan》 





《 イスラーム建築 きほんのき 》
イスラームとは、6世紀アラビア半島の商業都市マッカ(メッカ)に生まれたムハンマド(マホメット)が、7世紀に興した一神教です。
彼は預言者として唯一神アッラーの啓示を受けました、それを聖典としてまとめたのが、クルアーン(コーラン)です。すべてをアッラーにゆだねることを信仰告白した人が信者・ムスリム(モスレム)です。
モスク(マスジド)は、ムスリムの集団礼拝堂です。崇拝の対象ではありません。
モスクにアプローチしてみましょう。
外観上のシンボルである高い塔・ミナレットがまず目に入ります。逆に言えばミナレットがあれば、モスクあるいはイスラームの神学校・マドラサです。ミナレットの上からは、礼拝・サラートへの呼びかけ・アザーンが1日に5回ながされます。
モスクの空間的特徴を類型化すると、イスラームが始まったころからある、柱が林立するタイプ:イブン・トゥールーン・モスク。中庭を囲んで、イーワンという前面はオープン、三方が壁で囲まれていて、天井がアーチ状となっているホールがあるタイプ:スルタン・ハサン・モスク。ビザンチン建築を継承し、大ドームによりもたらされた無柱空間を持つタイプ:ムハンマド・アリ・モスクがあります。
カイロではすべてのタイプが観ることができる世界的にも稀有な都市なのです。
モスクの中に入ってみましょう。
イスラームでは、偶像崇拝を徹底的に排除しているため、ご神体のようなものはありません。
世界中のムスリムは、サウジアラビアのマッカにあるマスジド・ハラームのカアバ神殿の方向・キブラに向かって祈りを捧げます。正面にあるムスリムが向き合っている壁をキブラ壁といいます、サインの意味で壁の一部が窪んでいます・ミフラーブ。近くには階段がついた説教壇・ミンバルがあるのが通常です。
壁や天井を観てみると、純粋な幾何学的文様や植物や動物の形をモチーフにした文様・アラベスクで埋め尽くされています。またところどころには、クルアーンの一節が、アラビア語の装飾的で美しい書体・カリグラフィーで書かれています。
イスラーム建築の成り立ちを超完結に書いてみました、いかがでしょうか。
《 イブン・トゥルーン・モスク The Mosque of Ibn Tulun 》
カイロに現存する中では最古のモスクで9世紀後半に竣工しました。
中庭を柱が林立する回廊、礼拝空間が取り囲みます。外側にらせん階段がついた高さ40mのミナレットも他に例をみない独特の形状をしています。
神谷武夫の著書 〈 イスラーム建築 〉の中で世界のイスラーム建築の名作21選に選ばれました。
カイロに現存する中では最古のモスクで9世紀後半に竣工しました。
中庭を柱が林立する回廊、礼拝空間が取り囲みます。外側にらせん階段がついた高さ40mのミナレットも他に例をみない独特の形状をしています。
神谷武夫の著書 〈 イスラーム建築 〉の中で世界のイスラーム建築の名作21選に選ばれました。

《 スルタン・ハサン・モスク The Mosque of Sultan Hassan》
中庭を四つのイーワンが取り囲んでいます。当初はマドラサと利用されていました。


《 リファーイー・モスク The Mosque of el-Rifai 》
内部空間はさまざまなイスラームの建築スタイルが混在する折衷様式でデザインされました。

《 ムハンマド・アリ・モスク The Mosque of Muhammad Ali 》
シタデル(城塞)の中に建てられました。中に入ると、巨大な中央のドームを小さなドームが支える無柱の大空間とシャンデリアが壮麗な空間を演出しています。

《 アズラク・モスク (ブルーモスク) The Blue Mosque 》
キブラ壁は、トルコのイズニック産ブルータイルで飾られています。


《 サリーフ・タラアイー・モスク The Mosque of Salih Tala'i 》
コリンシャン・オーダーの柱とキブラ壁、取り合わせの妙です。

《 ズウェーラ門 Bab Zuwayla 》
カイロ歴史地区には門が三つ遺されています。そのなかで最も状態が良いです。ただしミナレットはムアイヤド・イッシェイフ・モスクのものとして建てられました。

《 ムアイヤド・イッシェイフ・モスク The Mosque El-Muayyad 》
中庭を回廊が取り囲み、中心には礼拝の前に身体を清める泉水が流れる泉亭があります。


《 アズハル・モスク The Mosque of el-Azhar 》
10世紀に創建され、エジプト国内で最も重要なモスクとされています。併設されたマドラサは、のちにイスラーム スンナ派の最高教育機関として、また現存する世界最古の大学の一つであるエズ・アズハル大学に発展しました。

《 ホセイン・モスク The Mosque of el-Hussein 》
ホセイン広場に面した大モスクです、中に入ると観光客はいません、宗教的な厳粛さを強くを感じました。

《 スルタン・パルスパイのマドラサ The Madrassa of el-Ashraf Barsbay 》
中庭に面して4つのイーワンがあります。周辺には香辛料の店が数多くあります。

《 スルタン・カラーウーンのマドラサ The Madrassa of Sultan Qalawun 》
《 スルタン・バルクークのマドラサ The Madrassa of Sultan Barquq 》
《 カーイトゥベーイ・モスク The Mosque of Sultan Qaitbey 》
カイロ歴史地区の東側には 〈 死者の町 〉 と呼ばれている高貴な方々の共同墓地があります。
モスクはこの地区にあります。その外観は、1エジプト・ポンド札に描かれています。

《 スルタン・バルクークのハーンカー The Khanqah of Sultan Farag Ibn Barquq 》
ハーンカーとは、イスラームにおける神秘主義者・スーフィーの修道場のことです。

《 スルタン・バルスバイのハーンカー The Khanqah of Sultan Ashraf Barsbey 》
木製のミンバルの脇で子供たちがお勉強していました、地域に密着した世界遺産なのでしょう。


エジプト建築の精華 アレクサンドリアで現代建築を観た Egyptian Architecture of Alexandria
エジプトの建築をひととおり観て楽しんできました。
エジプト建築の魅力や特徴などなどをブログしたいと思います。
第5回目は、アレクサンドリアの現代建築をブログします。
アレクサンドリアは、カイロに次いでエジプト第2の都市です、また地中海に面した港湾都市です。
歴史的にみれば、紀元前からのギリシア・ローマ文明と、7世紀以降のイスラーム文明が融合し発展してきた経緯から、多くの文化的要素を合わせ持ち、そしてそこはかとなく欧米的な雰囲気を感じさせる国際商業都市です。
《 アレクサンドリア図書館 Bibliotheca Alexandrina 》
アレクサンドリア図書館(ビブリオシカ・アレクサンドリナ)は古代にもありました。
紀元前4世紀ごろから整備が始まり、7世紀イスラームの侵攻により破壊されるまで、文学・歴史・地理学・数学・天文学・医学など世界中のあらゆる分野の70万冊の蔵書(諸説あり)を誇り、当時の世界最大の知の宝庫でした。
1989年、図書館を再建するべく国際競技設計(コンペ)が行われ、その結果ノルウェーのスノーヘッタ・アーキテクツの設計により、2002年にオープンしました。
外観は、直径160メートルの斜めに切り取られた巨大な円柱が地面に埋もれているという特異な形状
が表されています。また世界中の文字刻まれているホール部分の外壁も見ごたえ十分です。
中に入ってみましょう。閲覧室は、繊細な柱が林立しトップライトからは柔らかい光が注ぐ大きな吹き抜けのなかに、7層からなるテラス状のフロアーが位置をずらしながら重なっています。
スタジオヤマは「歴史に残る建築」だなと思いながら観させていただきました。