クメール建築大全 その1 Khmer Architecture
カンボジア、タイ、ラオスにまたがり存在し、いまなお輝き、人々を魅了しづけるクメール建築を楽しんで頂きたいと思います。第1回目はアンコール・ワットおよびアンコール・トム内に展開する諸寺院です。
各遺跡の解説は極力簡単にしました。
その理由は、予備知識があまりなくてもクメール建築の特徴は、本質は、魅力は、などなどの全貌を、ヴィジュアルに直感的にイメージできるように構成したかったからです。建築様式分類、時代背景等々の文献的詳細について他のガイドブックを読むことでさらにイメージが膨らむでしょう。
ひとくちメモ
クメール建築とは、クメール王朝時代のクメール人の創作による建築の総称です。
また首都がアンコール・トム(現在のシュムリアップ地域)に置かれていた時代に最盛期を迎えたため、アンコール王朝、アンコール建築という呼称も一般的に使用されます。
王朝は、9世紀から15世紀まで現在のカンボジアを中心に存在していました。
12世紀から13世紀に最盛期を迎え、その版図は現在のタイ、ラオス、ベトナムまで拡がり、当時東南アジア最大の王国でした。
12世紀から13世紀に最盛期を迎え、その版図は現在のタイ、ラオス、ベトナムまで拡がり、当時東南アジア最大の王国でした。
領土内には、寺院を主とする建築、道路・橋・灌漑施設などの土木施設が数多く遺されました。
《 アンコール・ワット Angkor Wat 》
アンコールとはサンスクリット語で王都、ワットはクメール語で寺院を意味します。
環濠(南北1.3km、東西1.4km)に設けられた参道を進んでいくと、回廊や4つの祠堂と中央にそびえ立つ高さ65mの祠堂の雄姿が見えてきます。
その規模と完成度の高さは、クメール建築の傑作というべき寺院です。
《 アンコール・トム Angkor Thom 》
アンコール・ワットの北側に隣接するアンコール・トムは、永らくクメール王朝の王都でした。
王都は、東西南北軸に合致した一辺3㎞のほぼ正方形の城壁に囲まれ、城壁に沿って環濠があり、5つの城門が設けられた城塞都市です。
南大門 South Gate

《 バイヨン Bayon 》
バイヨンは、各ゲートから真直ぐに延びる道が交錯するポイントに建立されました。配置的にも視覚的にもアンコール・トムの中心寺院であることを示しています。
仏教寺院の象徴である観世音菩薩の四面塔群、宗教的モチーフではないチャンパ軍との戦闘場面や庶民の日常を彫り込んだレリーフなどなどが訪れた人々を魅了します。
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《 パプオーン Baphuon 》
三重の回廊を持つ寺院です。200mに渡ってビスタを絞る空中参道に注目しましょう。


《 王宮 Royal Palace 》
城壁に囲まれています、アンコール・トムの城壁と合わせて2重の守りを固めた歴代王の住まいです。
王宮そのものは木造であったため現存していませんが、王の専用寺院であるピミヤナカスや沐浴場などが遺されています。
ピミヤナカス Phimeanakas

沐浴場 Royal Pond
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《 王宮広場 Royal Square 》
明るく開けた広場を取り囲むように絶妙な間合いをもって各遺跡が配置されています。
王が広場を行進する兵を閲兵するときなどなどの公式行事を行う際、王の玉座が置かれた象のテラス、それに続くライ王のテラスが周囲より一段高く連続しています。
広場を挟んで、広場の領域を示すかのように12本の塔プラサット・スゥル・プラットが林立しています。
さらにその背後には、賓客の宿泊所だったといわれるクリアンが2棟配置されています。
王宮広場:テラスより望む
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象のテラス Elephant Terrace


ライ王のテラス Leperking Terrace


クリアン Khleang

《 プリア・パリライ Prah Palilay 》
参道の十字型テラスから、細くてひょろひょろとした中央祠堂が見えてきます。
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《 プリア・ピトゥ Preah Pithu 》
それぞれ特徴のある5つの小寺院から構成されています、まるで寺町のようです。

クメール建築大全 その2 Khmer Architecture
カンボジア、タイ、ラオスにまたがり存在し、いまなお輝き、人々を魅了しづけるクメール建築を楽しんで頂きたいと思います。第2回目はアンコール・トム周辺の寺院群です。
ひとくちメモ
主要なクメール建築は、ヒンドゥー教あるいは仏教の神々を祀っている寺院です。
当時の寺院は宗教的祭祀を行う場であるとともに、クメール人が考える理想の造形、神と同一視される王への尊厳などを表現しています。
寺院は、東西の軸線上に伽藍が展開します。東側にメインの入り口を設けることが原則です、すなわち正面です。例外的にアンコール・ワットは西側が正面です。ただし自然の地形を利用したためなどの理由からこの原則から外れる寺院もあります。
また中国や日本の寺院建築のように、正面性を強く意識させるのではなく、東西南北全てに入口と正面性を持つ4分屋という造り方をします
スタジオヤマ流の拝観の仕方を紹介しましょう。
参拝するとき必ずメインの入り口から入り、中心の祠堂に向かって進みます。時間がない、近道などの理由により、逆からあるいは横から入る人がいますがそのような参観は決してしません。
なぜならば王道を進むことにより、建築家(作者、デザイナー)が意図した空間を知覚体験できるのです。いいかえれば創作された物語を建築家の意図したとおりに鑑賞しうる唯一の方法なのです。
遺跡全体の構成を頭にいれて、次はデティール(詳細)を楽しみましょう。
まずは、入口のテラスにみられるナーガ:頭が5つないし7つ9つある蛇神・不老不死のシンボル、があなたを迎え入れてくれるでしょう。
さらに前に進むと、祠堂入口の頂部などに彫刻としてみられるヒンドゥー教の三大神、ブラフマー:天地創造の神、ヴィシュヌ:太陽神、シヴァ:破壊と創造の神、などを中心にさまざまな神が祀られているのが眼に入ってきます。
祠堂の内部には、シヴァ神の象徴であるリンガとヨニが祀られています。リンガ(おちんちん・男根)が、円形のプレート、ヨニ(われめちゃん・女性器)をつらぬいている状態で鎮座しており、生殖と豊穣をわかりやすくシンボライズしています。
遺跡が仏教寺院であれば観世音菩薩の巨大な仏頭が眼を引きます。
さらに、踊り子を意味するアプサラや女神デバターが、華麗に美人コンテストを競い合っています。
窓にも注目しましょう、そろばん玉を重ねたような円柱状の連子窓からの光が、祠堂のなかに鋭いコントラストを創り出し、まるで空間をナイフで切りつけたような印象を与えてくれるでしょう。
《 プリア・カン Preah Khan 》
《 バンテアイ・プレイ Banteai Prei 》
環濠と回廊に囲まれた寺院内部には、十字型の平面を持つ祠堂があります。

《 プラサット・プレイ Prasat Prei 》
個性的な顔をした女神デバター像が祠堂の壁面を飾っています。各寺院のデバターには、それぞれ実在のモデルがいるといわれています。
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《 ニャック・ポアン Neak Pean 》
中央の正方形の大きな池に4つの同じく正方形の小さな池が配置されています。大きな池の中心には、円形の基壇を2匹のナーガ(蛇神)がぐるぐる巻きしている中央祠堂があります。全ての遺跡が、図形の中で最も単純な正方形(理性)と円(感性)で全てを表現しきったところに拍手です。
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《 クロール・コー Krol Ko 》
周壁東側の塔門から中に入ります。境内には、拝殿と祠堂、少し離れて経蔵が配置されているのが見て取れます。

《 タ・ソム Ta Som 》
剣を持った門番の神が出入口の両脇を固めています。


《 チャウ・スレイ・ヴィヴォル Chau Srei Vivol 》
中央祠堂の大量の石材ピースを目の前にすると、この程度の規模の祠堂でも建設するには大変な時間と労力が必要なのだろうな、ということを実感できます。

《 バンテアイ・サムレ Banteay Samre 》
2重の高い周壁に囲まれまるで要塞のようです。実際ポル・ポト政権時代には刑務所として使われていたそうですが、なかに入るとそのイメージとは逆に保存状態もよく実に華やかです。

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《 トマノン Thommanon 》
東側の塔門から、拝殿、祠堂、西側塔門と軸線上に伽藍が配置され解りやすい動線でお参りできます。


《 チャウ・サイ・デボーダ Chau Say Tevoda 》
祠堂壁面を飾るデバターのクラウンとイアリングがとても優美です。


《 タ・ケウ Ta Kev 》
王の死により未完に終わった大規模寺院です。装飾があまり施されてないいわば躯体のままの状態で現在にいたっています。そのことにより、形態のマッスが純な形で表現され迫力を創出しています。
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《 タ・ネイ Ta Nei 》
回廊の東側塔門から境内に入ると、経蔵と祠堂が崩れそうになりながらも建っています。
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《 東メボン East Mebon 》
東バライは、東西7km、南北2kmの灌漑用貯水池です、ただし現在では水はありません。その中心に東メボンが建立されました。当時の人々はお参りするさい船で往来したのです。


クメール建築大全 その3 Khmer Architecture
カンボジア、タイ、ラオスにまたがり存在し、いまなお輝き、人々を魅了しづけるクメール建築を楽しんで頂きたいと思います。第3回目は、前回からの続きアンコール・トム周辺の寺院群です。
ひとくちメモ
人類は建築の進歩を追い続けてきました、現在でもそうです。
建築の進歩を計る尺度を、いくつかある中から2つあげましょう。
ひとつは外部空間の壮大さ特に高さにおいて、2つめはスパン(梁間)をとばして無柱で広い天井の高い内部空間を造ること、です。
これらを達成するには、構造、構法、材料などの技術的進歩が必要です。
クメール建築は、外部空間のすばらしさにたいして、内部空間の貧弱さは一目瞭然です。
なぜでしょうか。
クメール建築の構造材料は、主にラテライトと呼ばれる石材と焼成レンガです、この材料を一個一個少しづつずらしながら 〈迫出し構法〉 積み上げて 〈組積造〉 内部空間を造っていきます。この構法を採用する限り、無柱の大空間は生まれません。同時代のイスラム教建築やキリスト教建築が同じ組積造でありながら、アーチ構法の採用により無柱の壮大な内部空間を手中にしたのと対照的です。
そもそもクメール時代の宗教活動において、充実した内部区間を必要としなかったのかもしれません、研究者の成果を待ちましょう。
《 プレ・ループ Pre Rup 》
《 プラサット・バッチュム Prasat Bat Chum 》
入口階段の両側に立つ獅子像と破風のわずかな彫刻が遺っています。それでも全体のヴォリュムは十分に理解できます。

《 プラサット・クラヴァン Prasat Kravan 》
一つの基壇の上に5つの祠堂が載っています。中央の祠堂内部のレンガ壁にはヴィシュヌ神の3態、中央に8本腕のヴィシュヌ神、左側は3歩で世界をまたぐヴィシュヌ神、右側にガルーダに乗るヴィシュヌ神、が彫刻されています。
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《 スラ・スラン Sras Srang 》
王が沐浴するための池です。東西700m、南北300mの大きさです。

《 バンテアイ・クディ Banteay Kdei 》
2001年、上智大学アンコール遺跡国際調査団によって200体以上の仏頭が切り離された仏像と千体仏が刻まれた石柱が発見されました。寺院の宗旨の変遷が解る発見として注目されています。
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《 タ・プローム Ta Prohm 》
スポアン(ガジュマル)の根が遺跡を押しつぶそうとしています。この様子が魅力なのでしょうか、大変人気のある遺跡です。
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《 バクセイ・チャムクロン Baksei Chamkrong 》
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《 プノン・バケン Phnom Bakheng 》
クメールの大地が一望できるプノン・バケン山の頂上に建立されました。
はるか彼方にアンコール・ワットが観えます、ということはアンコール・ワットの方からもプノン・バケンを望むことができます。そういう相互関係なのです。
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《 西バライ West Baray 》
アンコール・トムを挟んで、東バライがあり西バライがあります、バライとは灌漑用貯水池のことです。西バライは現在も現役で使用されています。屋台なども出て、水泳場もありシュムリアップ市民の憩いの場となっています。

《 ワット・アトヴィア Wat Athvea 》
アンコール・ワットと同じく、西側からがメインアプローチの数少ない寺院です。

《 プノン・クロム Phnom Krom 》
トレンサップ湖を望む小さな山の頂上に建立されました。祠堂の外壁が崩壊していくというより、風化して溶けだしていくという印象を受けます。

《 ロレイ Lolei 》
ロリュオスとは、アンコール・トムに移る以前に王都があったところです。現在、主な遺跡としてロレイからブログする3つの寺院がロリュオス遺跡群として遺されています。
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《 プリア・コー Preah Ko 》
基壇の上に前に3つ後ろに3つの祠堂が並びます、このことにより祠堂群の中心性より正面性を強調しているのです。

《 バコン Bakong 》
ロリュオス遺跡群の中では最大規模を誇り、かつ完成度が最も高い寺院です。


クメール建築大全 その4 Khmer Architecture
カンボジア、タイ、ラオスにまたがり存在し、いまなお輝き、人々を魅了しづけるクメール建築を楽しんで頂きたいと思います。第4回目はアンコール・トムから遠く離れたカンボジア領内の遺跡です。
ひとくちメモ
クメール建築をより深く知りたい場合はどうしたらよいのでしょうか。
ガイドブックとしては、地球の歩き方〈 アンコール・ワットとカンボジア 〉がベストだと思います、ひと昔まえの本の小口がブルーだったころの版に比べて格段の進歩です。内容についてもlonely planetの〈 Cambodia 〉と同等かそれ以上の出来です、ただしお互いに触れてない部分があります、よって補完する意味で2冊通読するのがよいのではないでしょうか。
遺跡の見どころをさらに詳しく知りたいなら〈 FOCUSING ON THE ANGKOR TEMPLES 〉が、図版を豊富に用いて、これでもかというくらい詳細に紹介しています。
タイ、ラオスのクメール建築のガイドブックとしては〈 KHMER TEMPLES IN THAILAND AND LAOS 〉が内容的に充実しておりハンディで使いやすと思います。
いわゆるアンコール本は、ネットで検索すれば山ほど見つかるのであえて取り上げません。
遺跡ハンターを目指すなら、日本の国際協力機構(JICA)が刊行した〈 シュムリアップ地域の1/10000地形図 〉は必携でしょう。
遺跡をさらに奥深く本質を理解するための資料として実測図があります。
実測図とは、文字どおり実際に遺跡にものさしをあてて測り、平面図、立面図、断面図などにまとめたものです。よって作成には膨大な時間と労力が必要です。
アンコール・ワットを例にとるならば、フランス国立極東学院(EFEO)が刊行した〈 ANGKOR VAT DESCRIPTION GRAPHIQUE DU TEMPLE 〉があります。スタジオヤマは、この113枚のプレートからなる実測図を観ていると、そのたびに新しい発見があり、無限の想像力が湧いてくるような気になります。
《 バンテアイ・スレイ Banteay Srei 》
《 ベン・メリア Beng Mealea 》
現在でも発見当時のままで、修復の手が入っていない遺跡です。足場の悪い誰もいない密林のなかを写真をとりながらうろついていると、思わずこれが遺跡なんだ!と呟いてしまいました。
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《 クバール・スピアン Kbal Spean 》
シュムリアップ川の源流である小さな川の川底や川岸にある石に、ヒンドゥ教の神々が彫られています。

《 コー・ケー遺跡群 Koh Ker 》
コー・ケーには10世紀短い期間ですが王都が置かれました。この地方の中心都市だったのです、数多くの寺院が遺されました、中でもプラサット・トムは7段の基壇を持ちコー・ケーを代表する寺院です。
プラサット・トム Prasat Thom


プラサット・リンガ‐1 Prasat Linga-1

プラサット・ニエン・クマウ Prasat Neang Khmau

プラサット・プラム Prasat Pram

《 ソムボー・プレイ・クック遺跡群 Sambuor Prei Kuk_ 》
ソムボー・プレイ・クックは、7世紀かつてチェンラと呼ばれたころの王都です。クメール人によって創られた最初期に属する遺跡のひとつです。
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《 プリア・カーン Preah Khan 》
コンポンスヴェイという町にあります、シュムリアップにあるプリア・カーンとは別寺院です。南塔門が実にフォトジェニックで感心することしきりです。

《 プリア・ストゥン Preah Stung 》
小さな寺院です、が観世音菩薩の4面仏は一級品です。

《 バンテアイ・チュマール Banteay Chhmar 》
回廊の外壁には、チャンパ軍との戦争などを彫り込んだレリーフが数多く遺っています。バイヨンのレリーフとよく似ています。極めつけは、西側外壁に遺る千手観音のレリーフでしょう。



《 プリア・ヴィヘア Preah Vihear 》
ダンレック山脈の斜面を利用した1.5kmにもおよぶ長い参道を歩いてお参りします。
タイとカンボジアの国境に位置します、最初に訪れたときはタイ側から入りました、2回目からはカンボジア側からでした。
タイとカンボジアの国境に位置します、最初に訪れたときはタイ側から入りました、2回目からはカンボジア側からでした。
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クメール建築大全 その5 Khmer Architecture
カンボジア、タイ、ラオスにまたがり存在し、いまなお輝き、人々を魅了しづけるクメール建築を楽しんで頂いたでしょうか。最終回の第5回目は、ラオス、タイにある遺跡です。
今回取り上げた遺跡のうちワット・プーのみラオスにありますが、残りの遺跡は全てタイにあります。
ひとくちメモ
スタジオヤマが初めてクメール建築を観たのは1996年8月のことでした。
そのころのカンボジアの状況は、クメール・ルージュなどとの内戦が終結しカンボジア王国が建国され、またUNTAC監視下のもと議会選挙がおこなわれシハヌーク殿下が1993年再即位した時代です。
ようやく今に続く平和が訪れたのです。
当時、アンコール・ワットでさえ雨期の期間中とはいえ人がパラパラといる閑散とした状況でした。
また地方は、治安が回復していない、遺跡の周りは地雷だらけということで訪問は叶いませんでした。
現在、アンコール・ワット周辺の遺跡群には、世界各地から年間300万人以上が訪れます。
隔世の感があります。
このブログで紹介したクメール建築は、スタジオヤマが把握している遺跡のうち、建築史学的に重要な遺跡というより、フォトジェニックなクメール建築のほぼ全てです。
掲載した写真は現況と異なる場合があります、その理由は時代の経過のなかで遺跡そのものが修復された、あるいは遺跡を取り囲む環境が大きく変わった、などなどです。
現在のカンボジア、ラオス、タイに秘境はありません、行きつくのに困難な遺跡はありません、すべての遺跡は車などで容易にアプローチすることが可能です。
このような状況だからこそ、願わくば静かに見守ってほしい、言い換えれば人知れず孤高を保って欲しい遺跡は数多くあります。
《 ワット・プー Wat Phau 》
建築的に特に注目するべきものはあまりありません。ただし背景の山並みと広大な敷地に建築が点在するランドスケープ的な観点からすれば第一級の寺院であることは間違いありません。
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《 プラサット・ムアン・シン Prasat Muang Singh 》
アンコール・トムから直線距離で500km以上離れています。王都から最も遠い寺院でしょう。



《 プラン・ケック Prang Kheak 》

《 プラ・プラーン・サム・ヨット Phra Prang Sam Yot 》
3つの塔が高くそびえ、町のランドマークとなっています。


《 ワット・プラ・シー・ラタナー・マハタート Wat Phra Sri Rattana Mahathat 》
もともとのクメール建築に、のちの改修や増築により様々なタイの様式が混ざっています。例えばスリランカ風の仏塔などです。


《 プラサット・ムアン・タム Prasat Mueang Tam 》
ナーガで飾られた環濠と、ラテライトで造られた周壁から中央祠堂が見え隠れしています。


《 プラサット・パノム・ルン Prasat Phanom Rung 》
小高い山の頂部に建立されました。長い参道を進んでいくと中央祠堂が見えてきます。









《 プラサット・ピマイ Prasat Phimai_ 》
広大な敷地の中に遺跡が程よい間隔を保って配置されています。最初の門は市街地に取り込まれた300mほど先にあります。



《 プラサット・タ・ムアン・トム Prasat Ta Muan Thom 》
タイ・カンボジア国境のジャングルのなかにあります、双方の国が領有権を主張しているのでしょう、それぞれの軍が駐留し監視していました。


