カトマンドゥのダルバール広場 カトマンドゥ盆地の広場考 その2 Kathmandu Valley NEPAR
ダルバール広場(王宮広場)は、街中にあるチョーク (chowk) とよばれる広場と共通する要素が数多く見受けられます。いうなればダルバール広場とは、王宮に付属する広場に多くの宗教施設などが付加され、規模が大きくなり権威付された究極のネパール的広場と言ってもよいでしょう。
カトマンドゥ盆地に三つあるダルバール広場の一つ、カトマンドゥのダルバール広場を観てみましょう。
ダルバール広場(王宮広場)は、ハヌマン・ドカとよばれる王宮を中心に20数棟にもおよぶヒンドゥ教の寺院や各種の建築と、10箇所のチョーク(中庭)とで構成されています。ほとんどの建築は17世紀から18世紀にかけて建てられました、1934年の地震により大きな被害を受けましたがほぼ修復されました。
伝統的なネワール様式の建築が建ちならぶ豊かな景観は、訪れた人々を魅了してやみません、王宮の一部に白く塗られたネオクラシック調でこの広場にそぐわない部分があったとしてもです。
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カトマンドゥ盆地の伝統的な建築のスタイルは、盆地一帯に多く住んでいるネワール人にちなんでネワール様式とよばれています。その特徴を観てみましょう。
構造的には、木造の柱・梁・小屋組みと壁はレンガによる組積造とによる混構造です。したがって塔のように柱が前面に出てくる建築は一見木造にみえ、住居系の壁が主体の建築は組積造にみえます。このような未熟な混構造とアクロバット的なスケルトンは耐震性を著しく低くしています。
外観は、方杖(ほうづえ)に支えられた瓦葺の直線的な屋根と深い軒が幾重にも重なっています。
壁に穿たれた窓や出入り口などの開口部は、アーチの技術がないため、木造組立式のフレームによる補強をしています。フレームに独特な彫刻を施しそれがネワール様式の特徴の一つになっています。
生活空間としてのチョ-ク カトマンドゥ盆地の広場考 その1 Kathmandu Valley NEPAR
2015年4月25日にネパールを襲ったマグニチュード7.8の大地震は、多くの人命を奪い、建造物に甚大な被害をもたらしました。
被災された方々に心よりお見舞い申しあげます。
スタジオヤマがあえて震災前の写真を用いて〈 カトマンドゥ盆地の広場 〉 をブログするのは、ひとりでも多くの方がネパールという国、なかでもカトマンドゥ盆地という地域に関心を持っていただきたいと思うからです。ブログで紹介する写真のような姿を取り戻すには、長い時間と莫大な費用が必要でしょう。
スタジオヤマは、スタジオヤマにでもできることは何なのかを考え始めました。
ネパールのカトマンドゥ盆地には3つの主要都市、首都のカトマンドゥ、そしてかつての王都パタン、バクタプルがあります。各都市には旧王宮があります、そして王宮を含む多様な建築が集合化したダルバール広場 (Durbar Square) があります、ダルバールとはネパール語で「宮廷」という意味です。
さらに街中には、チョーク (chowk) とよばれる広場が数多く存在します。チョークとは歴史的には王宮や寺院などにある中庭を示します、現在では広場の意味で使用されている例が多いようです。
ネパールの広場を語るときこのチョークからスタートするのが順当でしょう。
カトマンドゥ旧市街の繁華な通りマカン・トールには、インドラ・チョークとそこから300mほど離れたところにアサン・チョークがあります、喧騒の中を歩いてみましょう。
チョークには必ずあるヒンドゥ教の寺院にお参りする人が鳴らす鐘の音が聞こえます。早朝には野菜などの食良品を並べたマーケットが開かれています。スパイス、お香、クルタスルワールなどの衣料品、ブランケット、布地、金属製の食器、靴などを扱う昔ながらの小さなお店が軒を連ねています。
この空間こそがカトマンドゥ盆地における広場の始原なのでしょう。
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郊外農村地帯のコカナ村にあるチョークにはまったりとした空気が流れています。
ダルマシャーラとよばれる休憩所に座って所在なさげにチョークを眺める人、屋外での作業に励む人、くつろぐ人、人間ばかりでなくガチョウもヤギも犬もいます。チョークは、軒を接して建てられた住宅に住む人々が共有する庭や作業場として機能しているのです。
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