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アフマダーバードとル・コルビュジエ  Ahmadabad West INDIA

インドはあらゆる事象において巨大で、かつ多様性に満ちている国です。
行くたびに新しい発見と体験があり、脳ミソがグルグルします。

広大な国土や世界第2位の人口などもさることながら、5000年を誇る歴史、多様な民族、宗教、言語、文化、風土、建築などが渾然と織りなす様は、一国の域を超えています。
インドを訪れた人は、インドは大陸であるという言葉が実感できるでしょう。


インドの建築を観て廻る人に道案内役として、神谷武夫著「インド建築案内」をお薦めします、(英訳版もあります:The Guide to the Architecture of the Indian Subcontinent )和書・洋書を含めてこれに勝るガイドブックはないでしょう。600を超えるインドの建築を、写真・テキスト・図面で紹介しています。さらにお薦め度を、星の数で記しています。(スリースターが最高ランク)

スタジオヤマはインドを何度となく訪れ延60日ほど滞在しました。

それでも「インド建築案内」のスリースターにランク付けされた都市と建築を観終ったにすぎません。全容を観るにはあとどのくらい時間が必要なのでしょうか、見当もつきません。

広大なインドを「インド建築案内」にならって5つの地域に分けてブログしたいと思います。

デリーを起点とする北インド、ムンバイを起点とする中インド、チェンナイを起点とする南インド、コルカタを起点とする東インド、アフマダーバードを起点とする西インド、です。

シリーズ初回は西インドをブログします。



西インドの主要都市のひとつ、アフマダーバード(Ahmadabad、アーメダバードAhmedabadともいう)は、グジャラートの伝統と近代的なインドが混在し活きづく魅力的な都会です。
19世紀イギリス統治時代は、インドのマンチェスターと呼ばれるほど綿織物工業が発展していました。かつての栄華は今見る影もありませんが、当時を偲ばせる建築は遺されています。
繊維業会館(Millowner’s Association Building)は、オーナー達のサロンとして、1956年フランスの建築家ル・コルビュジエ(Le Corbusier)の設計により建設されました。格子状の彫の深いファサードは、西インドの強烈な太陽光が直接室内に入るのを防ぎ、窓辺に植えられた植栽とともに、建築の存在感を際立たせる陰影を創っています。そこにスロープ状のアプローチ通路が突き刺さるように取りついています。60年近くたった現在でもその存在は新鮮です、スタジオヤマにとっては、あらためて近代建築の持つパワーに魅了された日でした。 
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    Mill owner's Association Building

 







Tag:南アジア  Trackback:0 comment:0 

ベトナム阮王朝の建築 陵墓  Hue VIETNAM

ベトナム、フエ郊外には、13代続いた阮(グエン)王朝の各皇帝および彼らの母、妃、子供などの陵墓が数多く残されています。

初代皇帝の嘉隆(ザーロン)帝陵を、配置図(建造物を地図上にプロットしたもの)片手に鑑賞すると、建築の配置、それらを取り囲むように造られた池の形などにそれぞれ意味があり、当時の皇帝の宇宙感を具現化していることが理解できます。

啓定(カイディン)帝陵は、ベトナム・バロックというべき華麗な装飾を魅せてくれます。

他の帝陵のような大規模な庭園を持たず、階段状のテラスに建築を配置し、全体をコンパクトで濃密な空間にまとめています。

明命(ミンマン)帝陵は、陵墓のゲートである大紅門から皇帝墓までのアプローチ軸線上に、庭、池、建築などが連続的に展開し、典型的でかつ見事なシークエンス空間を構成しています。

実際にその空間の中を歩いて見ましょう。

建築や植栽などにより可視空間が拡がったり狭まったりし、同時に階段などにより目線の高さが変化していること。合わせて明るさなど人間の五感に訴える全ての要素を動員して、陵墓全体が、一番奥の主が埋葬されている墓に参拝する気概を醸成する舞台装置となっていること。

などなど、設計者の意図したとおりの体験ができます。
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140720-02      嘉隆帝陵



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140720-04       啓定帝陵



140720-05      大紅門 明命帝陵


140720-6      碑亭 明命帝陵


140720-7     顕徳門 明命帝陵


140720-8      崇恩殿 明命帝陵


140720-9      明楼 明命帝陵


140720-10       皇帝墓 明命帝陵









Tag:東アジア/東南アジア  Trackback:0 comment:0 

ベトナム阮王朝の建築 皇城  Hue VIETNAM

阮(グエン)王朝は、ベトナム全土を1802年から1945年まで支配した、最初にして最後の統一王朝です。
首都フエには、皇帝が居住する皇城がおかれました、また郊外には各皇帝の陵墓があります。

阮朝の建築は、中国建築の影響を強く受けています。

同じベトナム建築のチャンパ建築とは全く様相が異なります。

皇城を観てみましょう。

建物の多くはベトナム戦争の爆撃によって破壊されてしまいました。

配置図(建造物を地図上にプロットしたもの)を参照すると、今は存在しない建築も合わせて、中心軸上に左右対称に、主要な建築が配置されていたことが解ります。

瓦で葺かれた中国風の木造建築が連なるさまは、建築名称や配置をふくめて、その空間構成が北京紫禁城によく似ています。

140713-01     午門


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140713-03     大和殿


140714-04   乾政殿


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    九鼎



140713-06    顕仁門




Tag:東アジア/東南アジア  Trackback:0 comment:0 

チャンパの彫刻  VIETNAM

チャンパの彫刻は、シヴァ神、ヴィシュヌ神などヒンドゥー教の神々を中心に、人物、ゾウや牛などの動物がモチーフとなっています。
その特徴は、デフォルメされているが写実的な彫刻です。人物像はしなやかで優雅なポーズ、大きな目、情熱的な厚い唇をそなえています。

同時代の、カンボジアやインドネシアのヒンドゥー教寺院を飾る彫刻と類似しています。

ベトナム、チャンパ建築の遺跡を観ているとその荒涼とした姿に感じ入ることがあります。
今見ている遺跡は、祠堂の室内や外部を飾っていた石像彫刻などの装飾品を、はぎ取った残滓なのです。保全のためとはいえ痛々しいかぎりです。
博物館でスポットライトをあびて鎮座している彫刻類、もとの位置は
目線の高さにあったもの、祠堂の上の方にあり見上げる視線の位置に飾られていたもの
暗いところで見て欲しいもの、朝日の中で見て欲しいもの、さまざまです。
それら彫刻類をもとのあった位置に戻し、統一体として <神に捧げられたもの> を崇めるのが本来の姿ではないでしょうか。
ベトナム国内の博物館収蔵品の充実ぶり、さらに一級品の多くはフランスのギメ美術館にあるという現実、とプアーな遺跡の現況との落差がスタジオヤマには堪えました。 
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   歴史博物館  Ha Noi



140706-02   美術博物館  Ha Noi


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    歴史博物館  Ho Chi Minh



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    チャム彫刻博物館  Da Nang










Tag:東アジア/東南アジア  Trackback:0 comment:0 

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スタジオヤマ

Author:スタジオヤマ
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[時間][空間][写真]
[時間]とは歴史的な流れを
[空間]とは地球規模での拡がりを表しています。
スタジオヤマは時空を自在に
切り取る[写真]を通じ
自らの思慮を表現していきたいと思っています。
応援をよろしくお願いします。
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studioyama
一級建築士

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