都市の桜 TOKYO
桜は、日本人にとって特別な意味を持つ花とし知られています。
季節になると都市でも地方でも日本全国平等に咲きます。メキシコにマヤ文明を訪ねて チチェン・イッツァ Chichen Itza MEXICO
マヤ語で「泉のほとりのイツァー人」という意味を持つチチェン・イツァーは、メキシコのユカタン半島北部に位置し、9世紀から13世紀にかけて繁栄した大規模な古代都市遺跡です。
同じ文明の遺跡を何箇所も見るとみな同じに観えてしまう、1箇所観ればよいという人がいます。スタジオヤマのごく身近にもいます。そういう人にとってチチェン・イツァーは、マヤ文明を特徴づける建造物が、保存状況がよい状態で一通り見られ、かつアクセスのしやすさ、遺跡に隣接するホテルの素晴らしさからお薦めです。
たくさん残されている建造物の中からスタジオヤマ推薦必見の遺跡は
カスティーヨ(El Castillo):マヤの最高神ククルカン(羽毛のあるヘビの姿の神)を祀る高さ24mのピラミッド型の神殿、それ自体がマヤ暦の1年(18ヶ月365日)を表しています。戦士の神殿(Templo de los Guerreros):生贄の心臓が置かれたチャクモール像がある神殿。 球戯場(Juego de Palota):腰でボールを打ち、球戯場の石の輪にボールを通すと得点になります。 カラコル(El Caracol):マヤ歴の基本となる太陽、金星などを観測していた天文台。 尼僧院(Casa de las Monjas)と教会(La Iglesia):プーク様式の壁面彫刻が美しい。 聖なる泉セノテ(Cenote Sagrado):都市住民4万人に必要な生活水を供給していた聖なる泉。などなどです。






Juego de Palota



Casa de las Monjas La Iglesia
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メキシコにマヤ文明を訪ねて ウシュマル Uxmal MEXICO
マヤ語の「三度にわたって建てられた町」を意味するウシュマルは、メキシコのユカタン半島北部のプウク地方に位置し、7世紀から11世紀にかけて繁栄を誇った古代都市遺跡です。
ウシュマルではみごとなプーク様式の壁面装飾を観ることができます。
プーク様式とは、横長の建築の壁面を、宗教的祭祀や幾何学模様の彫刻を施した石を化粧張りし、全体として一つのストーリーを物語るような装飾を施す手法です。
数多くある建築のなかでも尼僧院(Cuaorangulo de las Monjas)のプーク様式の壁面装飾は、見応えがあります。
尼僧院:建物にたくさんの小部屋があることからスペイン人によって名付けられましたが
実際の用途は、宮殿であったと言われています。
尼僧院は、東西65m、南北45mある中庭を囲んで四方を建築が取り囲んでいます。 実際の用途は、宮殿であったと言われています。
建築の壁面には、マヤの伝統的な雨神チャクと、羽毛のある蛇ククルカンをメインモチーフに、それを強調する複雑な幾何学模様とがダイナミックに展開しています。
この壁面装飾は、プーク様式関していえば、マヤ文明の遺跡なかでも最高傑作の一つでしょう。
そのころ設計中であった日本の旧帝国ホテルのデザインにもそのモチーフが採用されました。
エントランス廻りや内部のパブリックスペースを飾る大谷石による壁面装飾は、プーク様式に源を求めることができるのです。
これでウシュマルは、フランク・ロイド・ライトを介して日本とつながりました。
旧帝国ホテルの一部は明治村に保存されていますので興味のある方はどうぞ。


Cuaorangulo de las Monjas
Palacio del Gobernador
El Palomar
Piramide del Adivino
この壁面装飾は、プーク様式関していえば、マヤ文明の遺跡なかでも最高傑作の一つでしょう。
ウシュマルは日本と関係あることをご存知でしょうか。
そのころ設計中であった日本の旧帝国ホテルのデザインにもそのモチーフが採用されました。
エントランス廻りや内部のパブリックスペースを飾る大谷石による壁面装飾は、プーク様式に源を求めることができるのです。
これでウシュマルは、フランク・ロイド・ライトを介して日本とつながりました。
旧帝国ホテルの一部は明治村に保存されていますので興味のある方はどうぞ。






メキシコにマヤ遺跡を訪ねて パレンケ Palenque MEXICO
パレンケは、ユカタン半島の付根にあたるメキシコ南東部の密林の中に位置し、マヤ古典期を代表する都市遺跡です。7世紀に最盛期を迎え、10世紀には放棄されました。18世紀にスペイン人によって再発見されるまで長い眠りについていたのです。
マヤ文明の遺跡に必ずある神殿、その頂部の神殿を支えるピラッミド型の部分は、長いあいだ神殿の基壇だと考えられていました。
ちなみにエジプトのピラミッドは墳墓です、神殿ではありません。
Templo de la Calavera
Templo de las Inscripciones

El Palacio
Templo del Sol
マヤ文明の遺跡に必ずある神殿、その頂部の神殿を支えるピラッミド型の部分は、長いあいだ神殿の基壇だと考えられていました。
ちなみにエジプトのピラミッドは墳墓です、神殿ではありません。
ところが1950年代、メキシコの考古学者によって、パレンケの碑文の神殿(Templo de las Inscripciones)のピラミッド部分の内部に墓室が発見され、中には7世紀に在位したパカル王の翡翠の仮面をまとった遺体が安置されていました。
この結果、ピラッミド部分は神殿の基壇であるという定説が覆され、そうでない墳墓を併用しているものもある、という報告がなされました。
それは当時の考古学界にとって衝撃的なできごとだったのです。
それは当時の考古学界にとって衝撃的なできごとだったのです。

Templo de la Calavera





Templo de la Cruz