メキシコにマヤ文明を訪ねて コバ   Coba MEXICO

スタジオヤマは、中米グァテマラである建築の設計をしたことがあります。仕事の合間にマヤ文明の遺跡を初めて訪れる機会があり、ティカル、キリグアをじっくりと観ました。
その時の印象として、絶妙な建造物の配置、建築のマッシブな形態、マヤ文字の美しさ、彫刻群、などなど高度な都市文明が織りなす成果に感銘を受けました。
いつか系統だってマヤ文明の遺跡めぐりを行い、その神髄に触れてみたいと思ったものです。

メキシコのユカタン半島は主に石灰質の土壌で成っております、したがって降った雨は地下に浸透するので大きい川や湖はほとんどありません。
コバはマヤ語で「さざなみの寄せる湖水」という意味です、名前が示すとおりマヤ文明の遺跡としては、例外的に湖水をもつ湿地帯に隣接しています。その歴史は、かなり古く4世紀頃からその存在が確認されています。
ユカタン半島では最も高い42mの高さを誇る、ノホックムル(Nohoch Mul)と呼ばれるピラミッド型の神殿からの眺望は絶景です、360°視界を遮るものはありません、どこまでも続くジャングルのはるかかなたに他の遺跡のトップ部分が少し顔を見せています。
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140330-02                   Nohoch Mul

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メキシコにマヤ文明を訪ねて トゥルム  Tulum MEXICO

マヤ文明は、中央アメリカのユカタン半島を中心とするメキシコ南東部、グアテマラ、ベリーズ、ホンジュラス、エルサルバドルなどいわゆるマヤ地域を中心として栄えた都市文明です。
紀元3世紀ころに興り、10世紀に最盛期を迎えました。
16世紀ごろからスペイン人が侵入し、17世紀にはマヤ地域すべてがスペインの植民地となり、都市国家としてのマヤ文明は終焉を迎えました。
マヤ文明圏では、統一国家が樹立されることなく、各地の都市国家が覇権と興亡を繰り返しました。それぞれの都市国家では、巨大なピラミッド型の神殿が築かれ、おなじ宗教観と象形文字を持ち、他に類がない天文学・暦学・数学などと、建築・都市施設などの都市文明が、高度に発達していました。

マヤ文明の遺跡は数多く残っています、今回のシリーズではメキシコ南東部にある5つの遺跡をブログしたいと思います。

トゥルムは、メキシコ、ユカタン半島の海沿いに位置し、10世紀から15世紀にかけて繁栄した都市国家です。16世紀にはスペインの進攻を受けます、スペイン人がマヤ文明圏において最初に遭遇した都市だそうです。
ロケーションが素晴らしい。
カンクンに連なるカリブ海の絶壁を背にして、断崖上に位置しています。
遺跡がエメラルドグリーンの海に映えます。

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Templo del Dios del Viento

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    El palacio

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El Castillo

140323-04    Casa de Las Columnas

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エルサレム イスラーム教の聖地として  Jerusalem ISRAEL

エルサレムはユダヤ教、キリスト教、イスラーム教など世界宗教の聖地です。
イスラーム教にとってエルサレムは、ムハンマドが一夜のうちに神殿の丘の岩から天馬に乗って昇天し、神の御前に至る旅を体験した場所とされ、メッカ、メディナに次いで、イスラーム世界 3番目に重要な聖地です。
西側の壁(嘆きの壁)の脇から、金属探知機とボディチェックの厳重な検査を経て神殿の丘に至ります、そこはかつてユダヤ教のエルサレム神殿があった場所です。
7世紀ウマイヤ朝の時代、神殿が破壊されて地面に岩盤がむき出しになっている所がありました、この岩(サフラー) こそ ムハンマドが昇天をした場所であるとされ、神聖な岩を覆う記念堂として<岩のドーム(The Dome of the Rock)>が建立されました。
岩のドーム、建築そのものはビザンティン風イスラーム建築ですが、16世紀オスマン朝の建築家ミマール・スィナンのデザインにより貼り直された、ブルーを基調とするアラベスク模様の外部装飾タイルと、黄金色のドームの対比が観る人に強烈な印象を与えます。

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   The Dome of the Rock

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エルサレム キリスト教の聖地として  Jerusalem ISRAEL

エルサレムはユダヤ教、キリスト教、イスラーム教など世界宗教の聖地です。
キリスト教にとってエルサレムは、イエス・キリスト自らが布教活動を行った場所です。
そのことがローマ帝国の反目をかい、ときの総督により磔刑に処せられ、十字架からおろされた後墓に埋葬されたが3日後に復活した、と聖書に記されている場所です。
磔刑に際しイエス・キリストは、総督ピラトの官邸(現在のウマリヤ小学校内)から、刑場のあるゴルゴダの丘(現在の聖墳墓教会 Church of the Holy Sepulchre)までの道のりを、十字架を背負って歩いたとされています。
この道をヴィア・ドロローサ(Via Dolorosa 苦難の道)と称します。
最後の歩みであるヴィア・ドロローサの各所には、イエス・キリストが行った所作に応じて、1番から14番までのステーションが設けられています、例えば「第6ステーション、ベロニカがイエス・キリストの顔を拭く」「第7ステーション、イエス・キリストが二度目に倒れた場所」などなどです。
現在でも毎週金曜日、イエス・キリストの苦難をしのび、宗教指導者を先頭に大勢の人々が、ヴィア・ドロローサを練り歩きます。

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6th Station

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7th Station


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Church of the Holy Sepulchre

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エルサレム ユダヤ教の聖地として  Jerusalem ISRAEL

エルサレムはユダヤ教、キリスト教、イスラーム教など世界宗教の聖地です。
ユダヤ教にとってエルサレムは、ユダヤ教で唯一の神ヤハウェを祀るエルサレム神殿が置かれていた場所です。
旧市街に位置する高さ20mほどの<西側の壁(Western Wall)>は、紀元70年ローマ帝国がエルサレム神殿を破壊したときの城壁の一部が残されたものです、近年は発掘調査が進み地下に埋もれていた部分も含めて公開されています。
西側の壁では、黒いスーツと黒い帽子にひげを蓄えたハレディームと呼ばれる超正統的ユダヤ教徒や、キッパーという小さな被り物を頭に乗せた人々、また女性はベールを被りそれぞれの場所で熱心に祈っています。
西側の壁の上には、イスラーム教の聖地である<岩のドーム>が、黄金色の屋根を見せています、ユダヤ教徒はどこに向ってなにを対象に祈っているのだろうと一瞬思ってしまう光景です。

西側の壁:日本語のガイドブックでは<嘆きの壁>と表記されていますが、英語表記Western Wall の直訳<西側の壁>のほうが実情に即していると思います。

ユダヤ教徒はここにきて祈りを捧げているのであって、嘆いているわけではないのですから。

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140302-03        Western Wall  Jerusalem ISRAEL

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