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ヨルダン ペトラに観る古代都市遺跡 その2   Petra JORDAN

ヨルダンの古代都市遺跡を巡り歩いてきました。
前回のブログでは、ペトラの導入部と中心部であるコロネイド・ストリートをブログしました。
今回はペトラの中心部から少し離れた都市遺跡をブログします。とはいってもペトラには、広大な地域に数多くの遺跡が存在しています、したがってここで取り上げている遺跡はその中のほんの一部です。

コロネイド・ストリートから厳しい山道を登っていくと、エド・ディル(修道院)に行き着きます。
高さ40mを超える大きな岩を彫り込んでつくられています。
エド・ディルのように彫刻のごとく刻んでつくる建築と、重力に抗って下から組み上げていく一般的な建築、建設に際してどちらか大変なのでしょうか、研究者によると刻んでつくる建築の方が容易に建設できるそうです。
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ローマ兵の墓は、都市の中心部から一山超えて、ワディ・ファラサと呼ばれる山と山の間にある枯川の谷底にあります。外壁にローマ兵のレリーフがあるためこう呼ばれています。
ローマ兵の墓の近くにある、庭の墓も興味深いです。墓室側から見ると、ワディ・ファラサが柱によって切り取られ、絵画的額縁効果がみごとに決まっています。
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ナバテア人の採石場と呼ばれているところです。遺跡というより環境の厳しさを実感できる場所です。迫りくる山肌、乾燥しきった沙漠の山岳風景が眼の前に拡がっています。151018-05

王家の墓は、コロネイド・ストリートを少し見下ろす断崖の岩に彫られた墳墓群です。宮殿の墓、コリンシアンの墓、アーンの墓、ウナイシュの墓などなどが連なっています。
西日に照らされたが夕方に訪ねるのがお勧めです、ネコもきていました。
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ヨルダン ペトラに観る古代都市遺跡 その1   Petra JORDAN

ヨルダンの古代都市遺跡を巡り歩いてきました。

ヨルダンに在るからといって、ヨルダン様式の都市遺跡とは限りません。現存する大部分の建造物は、建設された時代を統治していた国の特徴を色濃く反映しています。

豊かな都市生活を送るためには充実した都市施設が必要不可欠です。

古代都市でも現代都市でも普遍の原理です。
都市施設とは、都市活動や良好な都市環境を維持するための施設です。
例えば、歩行者用通路を含む道路。広場、緑地、墓苑などの公共空地。上・下水道。治水施設。マーケット。学校、図書館などの教育文化施設 。病院などの医療福祉施設などなどです。
さらに付け加えるならば、神殿などの宗教施設と悪所でしょうか。
都市施設のみごたえという観点からヨルダンの古代都市遺跡を観ると、アンマン(Amman)の都市遺跡は、現在の市街地に呑み込まれています、よって全体像がみえてきません。ジェラシュ(Jerash)は、都市施設が織りなす空間構成は素晴らしいのですが、保存方法に難があります。ウム・アル=ラサス(Um er-Rasas)は、世界遺産に登録されている都市遺跡です、しかし観るに値する都市施設がほとんど保存されていないのが残念です。
この意味でペトラ(Petra)はパーフェクトでかつエクセレントです。
都市遺跡が位置するロケーションの素晴らしさ、保存状態が比較的良い都市施設群の充実度。なかを散策していると当時の暮らしぶりが目に浮かび、同じ時代に居るような気持になります。


ペトラは、紀元前よりアラビア系遊牧民のナバテア王国の首都として、また通商の中継地とし繁栄していました。2世紀にはローマ帝国に征服されました、その後もおおいに繁栄しましたが、8世紀この地方をおそった大地震により都市は放棄され廃墟となったと言われています。
現存するローマンスタイルの都市遺跡はほとんどこの時代のものです。
ペトラを2回に分けてブログします。最初は、導入部と中心部の都市遺跡をブログします。


ペトラの都市遺跡へのアプローチは、劇的で意外性がありおおいに楽しませてくれます。
シークと呼ばれる岩の裂け目にできた峡谷の底を歩くような通路を20分ほど進むと、エル・カズネ(宝物殿、実際の用途は墳墓)が突然目の前に現れます。
まずは衝撃的な洗礼を持って迎え入れられたのです。

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都市の中心に向って少し歩くと、ローマ帝国時代の都市遺跡には、必ずある円形劇場が見えてきます。敷地の斜面をうまく利用していますが、そそり立つ岩は迫力あり過ぎです。
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コロネイド・ストリートは、ペトラの中心部にあるメインストリートです。
凱旋門をくぐり、円柱が並ぶ通りに出ると、神殿、宮殿、教会、マーケット、公衆浴場などなどが軒を連ねています。石畳みや階段、列柱などが創る豊かな外部空間の中に居ると、当時の繁華な雰囲気が容易に想像でき、人々のざわめきまで聞こえてくるようです。

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ナバテア人の神殿であったカスール・アル・ビントは、凱旋門の近くに位置しています。
何度かの地震により内部は、ほぼ崩壊しています。ローマ建築ではあまりみない、上部の迫り出しを特徴とする外壁がかろうじて形を保っています。

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ヨルダン ジェラシュに観る古代都市遺跡   Jerash JORDAN

ヨルダンの古代都市遺跡を巡り歩いてきました。
ヨルダンに在るからといって、ヨルダン様式の都市遺跡とは限りません。現存する大部分の建造物は、建設された時代を統治していた国の特徴を色濃く反映しています。

ヨルダンのジェラシュ( Jerash )は、かつてはゲラサ( Gerasa )と呼ばれていました。
紀元前1世紀にローマ帝国の統治下に置かれてから、治安や平和が保たれ、経済活動が盛んになり、都市施設が整備され商業都市として繁栄を誇りました。そして8世紀にこの地方をおそった大地震によりゲラサは放棄されその歴史は終焉したと言われています。
神殿、劇場、競技場、公共浴場、道路、市壁など多くの都市施設が遺されました。これらの建造物は、ローマ帝国統治時代に裕福な市民の寄付により建設されたそうです。

ジェラシュの市街全域を見渡せる丘の上には、この都市の守護神であるゼウス神殿が威容を誇っています、市民の目線で見れば市街のどこからでも仰ぎ見ることができます。150920-01
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楕円形のフォルム(公共広場)から、カルドと呼ばれる街を貫くメイン通りが北に向ってまっすぐに延びています。カルドの両側には等間隔で円柱が並んでいます。
石畳みの通りに面して建物が軒を連ね、人々が行き交い繁華な通りだったのでしょう。
なかでも半神半人の妖精ニンフに捧げられたニンファエウムは、その物語性のあるファサードをもって人々を魅了してきたに違いありません。
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カルドから坂道をあがっていくと、ひときわ目を引くアルテミス神殿がみえてきます。
コリンシャン・オーダーの柱頭を飾るアカンサスの葉がとても華やかです。
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ヨルダン アンマンに観る古代都市遺跡   Amman JORDAN

ヨルダンの古代都市遺跡を巡り歩いてきました。
ヨルダンに在るからといって、ヨルダン様式の都市遺跡とは限りません。現存する大部分の建造物は、建設された時代を統治していた国の特徴を色濃く反映しています。
この地域の都市遺跡を包括的に理解するためには、シリアなど西アジアの国々を訪れる必要がありますが、いまの状況では自殺行為に等しいと思いますので次回に譲りましょう。

ヨルダンの首都アンマンにあるアンマン城は、旧市街を一望できる丘の上に築城されました。
城内にはたくさんの建築があります、ビザンチン時代の教会、ウマイヤ朝時代の宮殿跡など様々な時代の遺構が混在しています。
いうなればこの丘はいつの時代でも地政学上重要な場所だったのでしょう。
スタジオヤマは、数多くある建築の中で、ローマ帝国が統治していた時代に建てられた、ヘラクレス神殿に注目しました。
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ローマ劇場は、アンマン城がある丘を望む市街地に、市民が日常的に利用するフォルムなど一群の都市施設として建設されました。
この位置関係は、神が住まう領域と人間が生活する空間の対比がきっちりと出ています。
またローマ劇場は、2世紀、ローマ帝国に統治されていた時代に創られ、円形劇場としてヨルダンでも最大規模のものです。
客席は、敷地の斜面をうまく利用して造られています。舞台を北西に向けているため、陽が沈むまで演劇を楽しむことができました、現在でもイベントやコンサートなどに利用されています。

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ミマール・スィナンとセリミエ・ジャーミィ   Edirne TURKEY

カイセリからエディルネまでほぼ20年ぶりにトルコ横断の旅をしました。
スタジオヤマは、悠久の風景・建築・人情味など魅力満載のトルコを理解するため、いくつかの切り口を用意しました。
一つに 《オスマン帝国の建築》 という切り口で、前回の続きです。

ミマール・スィナン(Mimar Sinan 1489年-1588年)の作品群の中で、エディルネのセリミエ・ジャーミィ(Selimiye Camii)は、スレイマニエ・ジャーミィと並び称される代表作でしょう。どちらか一つ選びなさいと言われれば、スタジオヤマはセリミエ・ジャーミィに手を挙げます。
ミマール・スィナンは生涯において多くの建築を設計しましたがが、最晩年の作品となるのがセリミエ・ジャーミィです。
参拝者は、回廊に囲まれた前庭の泉において体を清めそして内部に入ります。
ほぼ点対称の平面は、8本の円柱とそれらに渡されたアーチによって支えられた、直径31m高さ47mの巨大なドームに覆われています。ふんだんに穿たれた窓から光が降り注ぎます。
ここにビザンティン建築の最高峰アヤソフィア大聖堂を超えた大空間が出現したのです。
正面のミフラーブ(メッカの方向を示すニッチ)やミンバル(説教壇)を前に身を置いていると、何の前知識が無くても「オスマン帝国のイスラーム建築とはこういうものか」ということが体験できます、ぜひトライしてみてください。
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Selimiye Camii


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ミマール・スィナンとスレイマニエ・ジャーミィ  Istanbul TURKEY

カイセリからエディルネまでほぼ20年ぶりにトルコ横断の旅をしました。
スタジオヤマは、悠久の風景・建築・人情味など魅力満載のトルコを理解するため、いくつかの切り口を用意しました。
一つに 《オスマン帝国の建築》 という切り口です。

オスマン帝国の建築について語るとき、その時代の傑作と呼ばれている建築作品をとおして特徴を明らかにすることができます。さらに進めてスタジオヤマは、一人の建築家の作品をとおして、オスマン帝国建築の華を語ろうと思います。
オスマン帝国は16世紀スレイマン1世の時代に、領土の拡大、文化・文明の発展などともに、イスラームの主導的国家として帝国の絶頂期を迎えました。

その時代に生きたミマール・スィナン(Mimar Sinan 1489年-1588年)は、スレイマン1世に仕える宮廷建築家です、彼によってオスマン帝国の建築が完成の域に達したと言われています。

また彼が活躍した時代、日本では戦国時代です、織田信長やその時代の戦国武将を知らない日本人はあまりいないように、現代のトルコではミマール・スィナンはよく知られた人物です。
ミマール・スィナンの作品は、ジャーミィ(モスク)などの建築作品、橋などの土木作品を合わせて400を超える作品が知られています。その膨大な作品群の中から、2つのピークすなわち代表作が生まれました。

一つはエディルネのセリミエ・ジャーミィ、次回ブログします。

もう一つはイスタンブルのスレイマニエ・ジャーミィSuleymaniye Camii)です。


スレイマニエ・ジャーミィは、イスタンブルの一番高い丘の上に建てられています。

細長いミナレットを従えた大小のドーム屋根による形態は、金角湾を挟んで対岸の新市街から望むとき、イスタンブルの都市景観に君臨しているかのようです。

内部空間は、大ドームの前後に半ドームを架けて、左右は窓の多い垂直壁とし、アーチやドームなどの構造的要素とステンドグラスからの光とのアンサンブルが、ドラマチックな大空間を創ることに成功しています。

また付属するマドラサ(神学校)、医学校、病院、無料給食所、宿泊所、商業施設、ハンマーム(公衆浴場)などと、スィナン自身の墓苑を含めて、複合建築群を形成しています。


ミマール・スィナンをさらに詳しく知りたい方へ
夢枕獏の<シナン>がおもしろいです、小説ですからどこまで史実に忠実かどうかは別として、人間スィナンを語っています。

  <MIMAR SINAN YAPILARY>は、主要作品を網羅した大部なプレートの実測図集です、イスタンブルのバザール横の古本屋さんを訪ね歩けば見つかるでしょう。


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141019-05 Suleymaniye Camii


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イスタンブルのビザンティン建築  Istanbul TURKEY

カイセリからエディルネまでほぼ20年ぶりにトルコ横断の旅をしました。
スタジオヤマは、悠久の風景・建築・人情味など魅力満載のトルコを楽しむため、いくつかの切り口を用意しました。
一つに 《ビザンティン建築 》 という切り口です。

イスタンブル(Istanbul)は、かつてコンスタンティノープルと呼ばれ、ローマ帝国、東ローマ帝国、オスマン帝国にわたって1600年もの間それぞれの帝国の首都でした。
1923年トルコ共和国が建国され首都がアンカラに移り、公式にイスタンブルという都市名称が与えられました。そして今でもトルコ最大の都市です。
イスタンブルの歴史のなかで、主に東ローマ帝国時代の建築をビザンティン建築と称します。
15世紀東ローマ帝国を征服したオスマン帝国の建築家たちは、ビザンティン建築が持つ空間構成、構造などを、乗り越えるべき対象あるいは範として扱いました。

コーラ修道院聖堂(Chora Church /カーリエ博物館)には、14世紀に制作された、ビザンティン美術の傑作と言われているモザイク画とフレスコ画が遺されています。
描かれているテーマは、キリストの生涯や聖母にかかわる物語などです。
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141012-03    Chora Church Istanbul


アヤソフィア大聖堂(Ayasofya)は、東ローマ帝国最大かつ格式のあるキリスト教の教会で、総主教座が置かれていました。
何回かの大規模な補修や構造的補強を行われましたが、6世紀の創建時から現在に至るまで、基本的な空間構成は変わっていません。このことは、時代を超えて生きながられる独創生を持った、偉大な建築である証左です。
オスマン帝国の時代に、ミナレットやミンバルが増設されイスラームのジャーミィに改修されました。時のスルタンが参拝する第一級の格式を誇るジャーミィとして利用され続けたのです。
空間構成の最大の特徴は、室内中心部にある巨大なドームです。
高いドームのハイサイドライトから漏れるスポットライト状の光は、床や壁を照らし、祈りの場にふさわしい神秘的で、ドラマチックな空間を醸成しています。
アヤソフィア大聖堂に代表されるビザンティン建築の空間構成は、オスマン帝国のイスラーム建築にとどまらず、東ヨーロッパやロシアの教会建築に多大な影響を与え続けました。
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141012-06    Ayasofya Istanbul
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エフェソスとヒエラポリスに古代都市の繁栄をみた  Ephesus Hierapolis TURKEY


カイセリからエディルネまでほぼ20年ぶりにトルコ横断の旅をしました。

スタジオヤマは、悠久の風景・建築・人情味など魅力満載のトルコを楽しむため、いくつかの切り口を用意しました。

一つに 《古代都市遺跡 》 という切り口です。


古代ギリシアの都市国家や古代ローマ帝国は、地中海全域に多くの独立した植民都市としての都市国家を建設しました。アナトリア(トルコ共和国のアジア側)には、トルコを代表する二つの都市遺跡が残されています。

 

パムッカレ(Pamukkale)の純白の棚田のような景観は、地下から湧出した炭酸カルシウムを含む温泉水が、山肌を流れ落ちる際、炭酸カルシウムが長い年月をかけて沈積してできた石灰棚です。
ヒエラポリス(Hierapoli)は、パムッカレの石灰棚の上に広がる、ローマ帝国の古代都市遺跡です。紀元前2世紀に建設が始まり2世紀から3世紀にかけてローマ帝国の温泉保養地として最盛期を迎えました。

当時の公衆浴場、円形劇場、競技場、神殿などの都市施設が残され繁栄ぶりを今に伝えます。

また城門の外側には、死者の街と言われるネクロポリス(Nekropolis)が遺されています。


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Travertines  Pamukkale

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 Arch of Dmitian  Hierapoli



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エフェソス(Ephesusは紀元前11世紀ごろから建設が始まったイオニア人(古代ギリシア人)の都市国家です。紀元前2世紀には共和制ローマの支配下に入り、東地中海交易の中心都市として繁栄しました。しかし8世紀イスラム勢力の台頭により都市は放棄され終焉しました。

当時のエフェスは、東地中海最大の都市でした。

メインストリートであるクレテス通り(Curetes Way)を軸に、5万人を収容できるといわれている円形劇場、12万冊の蔵書を誇った図書館をはじめ、神殿、公衆浴場、住宅、娼館まで一通りの都市施設が保存状態の良い状態で遺されています。

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  Curetes Way  Ephesus


141005-06      Library of Celsus  Ephesus


141005-07      Great Theatre  Ephesus

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カッパドキアに住む  Cappadocia TURKEY

カイセリからエディルネまでほぼ20年ぶりにトルコ横断の旅をしました。
スタジオヤマは、悠久の風景・建築・人情味など魅力満載のトルコを楽しむため、いくつかの切り口を用意しました。
一つに 《ヴァナキュラー建築》 という切り口です。

ヴァナキュラー建築とは、民衆が伝統的な材料を用い、伝統的な構法で建てた建築、いわゆる土着的あるいは風土的建築と定義されますが、バーナード・ルドフスキーの「建築家なしの建築」 Architecture without Architect という概念の方がヴィヴィッドで心に響きます。
広いトルコには、その地方ごとのヴァナキュラー建築があります。
「カッパドキアに住む」という観点から、この地方のヴァナキュラー建築をみてみましょう。
個々の住居そのものは取り立てて記すような特徴はありません、が特異な自然環境と一体化した集住体としてみるならば、互いに協調しているが埋没しないで、ダイナミック・バランスを取りながら美しい景観としてスタジオヤマを魅了させてくれました。

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Cavusin Cappadocia

140928-03 Ortahisar  Cappadocia




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カッパドキア  Cappadocia TURKEY

カイセリからエディルネまでほぼ20年ぶりにトルコ横断の旅をしました。
スタジオヤマは、悠久の風景・建築・人情味など魅力満載のトルコを楽しむため、いくつかの切り口を用意しました。
一つに 《自然風景》 という切り口です。

カッパドキア(Cappadociaは、トルコが世界に誇る景勝の一つです。
標高1000メートルを超えるアナトリア高原中央部に、100km²近くにわたって拡がる、火山の噴出物でできた凝灰岩の台地です。
眼前に拡がる独特の景観は、現在も進行中の長い時間をかけ、凝灰岩の地表が雨に打たれ柔らかい溶岩を侵食し固い地層がのこされ、その繰り返しと重なり合いにより生みだされました。
この奇抜で不思議な景観は、実にフォトジェニックなのです。

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Babatcik Valley  Cappadocia


140921-02     Rose Valley  Cappadocia

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Love Valley  Cappadocia


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Baglidere Valley  Cappadocia

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エルサレム イスラーム教の聖地として  Jerusalem ISRAEL

エルサレムはユダヤ教、キリスト教、イスラーム教など世界宗教の聖地です。
イスラーム教にとってエルサレムは、ムハンマドが一夜のうちに神殿の丘の岩から天馬に乗って昇天し、神の御前に至る旅を体験した場所とされ、メッカ、メディナに次いで、イスラーム世界 3番目に重要な聖地です。
西側の壁(嘆きの壁)の脇から、金属探知機とボディチェックの厳重な検査を経て神殿の丘に至ります、そこはかつてユダヤ教のエルサレム神殿があった場所です。
7世紀ウマイヤ朝の時代、神殿が破壊されて地面に岩盤がむき出しになっている所がありました、この岩(サフラー) こそ ムハンマドが昇天をした場所であるとされ、神聖な岩を覆う記念堂として<岩のドーム(The Dome of the Rock)>が建立されました。
岩のドーム、建築そのものはビザンティン風イスラーム建築ですが、16世紀オスマン朝の建築家ミマール・スィナンのデザインにより貼り直された、ブルーを基調とするアラベスク模様の外部装飾タイルと、黄金色のドームの対比が観る人に強烈な印象を与えます。

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   The Dome of the Rock

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エルサレム キリスト教の聖地として  Jerusalem ISRAEL

エルサレムはユダヤ教、キリスト教、イスラーム教など世界宗教の聖地です。
キリスト教にとってエルサレムは、イエス・キリスト自らが布教活動を行った場所です。
そのことがローマ帝国の反目をかい、ときの総督により磔刑に処せられ、十字架からおろされた後墓に埋葬されたが3日後に復活した、と聖書に記されている場所です。
磔刑に際しイエス・キリストは、総督ピラトの官邸(現在のウマリヤ小学校内)から、刑場のあるゴルゴダの丘(現在の聖墳墓教会 Church of the Holy Sepulchre)までの道のりを、十字架を背負って歩いたとされています。
この道をヴィア・ドロローサ(Via Dolorosa 苦難の道)と称します。
最後の歩みであるヴィア・ドロローサの各所には、イエス・キリストが行った所作に応じて、1番から14番までのステーションが設けられています、例えば「第6ステーション、ベロニカがイエス・キリストの顔を拭く」「第7ステーション、イエス・キリストが二度目に倒れた場所」などなどです。
現在でも毎週金曜日、イエス・キリストの苦難をしのび、宗教指導者を先頭に大勢の人々が、ヴィア・ドロローサを練り歩きます。

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6th Station

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7th Station


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Church of the Holy Sepulchre

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エルサレム ユダヤ教の聖地として  Jerusalem ISRAEL

エルサレムはユダヤ教、キリスト教、イスラーム教など世界宗教の聖地です。
ユダヤ教にとってエルサレムは、ユダヤ教で唯一の神ヤハウェを祀るエルサレム神殿が置かれていた場所です。
旧市街に位置する高さ20mほどの<西側の壁(Western Wall)>は、紀元70年ローマ帝国がエルサレム神殿を破壊したときの城壁の一部が残されたものです、近年は発掘調査が進み地下に埋もれていた部分も含めて公開されています。
西側の壁では、黒いスーツと黒い帽子にひげを蓄えたハレディームと呼ばれる超正統的ユダヤ教徒や、キッパーという小さな被り物を頭に乗せた人々、また女性はベールを被りそれぞれの場所で熱心に祈っています。
西側の壁の上には、イスラーム教の聖地である<岩のドーム>が、黄金色の屋根を見せています、ユダヤ教徒はどこに向ってなにを対象に祈っているのだろうと一瞬思ってしまう光景です。

西側の壁:日本語のガイドブックでは<嘆きの壁>と表記されていますが、英語表記Western Wall の直訳<西側の壁>のほうが実情に即していると思います。

ユダヤ教徒はここにきて祈りを捧げているのであって、嘆いているわけではないのですから。

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140302-03        Western Wall  Jerusalem ISRAEL

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聖都 エルサレム  Jerusalem ISRAEL

エルサレムの旧市街は、16世紀オスマントルコのスレイマン1世によって建設された城壁に囲まれています。広さは2km四方に満たない区域で、端から端まで歩いていける距離です。
旧市街はユダヤ教、キリスト教、イスラーム教など世界宗教の聖地です。各宗教を代表する西側の壁(嘆きの壁)、聖墳墓教会、岩のドームといった建築や遺構、そして隣接するオリーブ山を合わせて巡礼する人々が絶えません。
また旧市街は各宗教によって住み分けがなされています。南東はユダヤ教徒地区、南西はアルメニア正教徒地区、北西はキリスト教徒地区、北東はイスラーム教徒地区となっています。
エルサレムがおかれた地政学的な複雑さや、紛争が絶えず起こっている状況をある程度は理解しているつもりです。そのうえで、単なる一旅行者が受ける印象は、そこらかしこの迷彩服すがたの治安部隊が目立ちますが、臨戦状態の緊張感もなく、各宗教の人々が平常どおり暮らしているように感じられます。
これだけ生き続けている歴史があり、かつ魅惑する場が集中する都市はそうありません。
スタジオヤマにとって、何度でも訪れたい都市のひとつにちがいありません。
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 Old City 

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  Jewish Quarter

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 Christian Quarter

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 Muslim Quarter

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イチャン・カラ Khiva UZBEKISTAN

ウズベキスタンのヒヴァは城郭都市として知られています。
城郭都市を形成する城壁の外側はディチャン・カラと呼ばれます。
城壁の内側はイチャン・カラと呼ばれ、18世紀から19世紀にかけて数多く建設されたモスクなどの歴史的建築と、人々が今も住む古い住居が混在しヒヴァの特徴ある景観を形成しています。

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    Ichon Qala

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    Kaita Minor Minaret

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      Juma mosque
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    Mohammed Rakhim Khan Medressa


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    Tosh-Havli Palace

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城郭都市ヒヴァ  Khiva UZBEKISTAN

 ウズベキスタンのヒヴァはほぼ完全な形で城壁があり城郭都市を形成しています。
城壁は10世紀に建設が開始され、何度かの戦争による破壊とその修復が行われました。
17世紀にはほぼ現在ある高さは10メートルにおよぶ城壁が取り囲む城郭都市になりました。
城郭の外側はディチャン・カラと呼ばれバザールがあります。
スタジオヤマはバザールを訪れるのが大好きです、その都市の魅力は名所旧跡ばかりでなく、バザールで売られている正体不明の食料品、使用かってのよくわからない日用品、その場でのライブなやり取りなどにも充分あると思うからです。

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Khiva

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Dishon Qala

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オアシス都市ブハラ  Bukhara UZBEKISTAN

ウズベキスタンのオアシス都市は、タシュケントからサマルカンド、シャフリサブス、ブハラ、ヒヴァと続きます、そのなかでもブハラはシルクロードを代表するオアシス都市です。
ブハラの旧市街の中心には、ラビハウズというオアシス都市を象徴するような方形の池があります、ハウズとは池の意味です。

池の周囲にはレストランなどがあり、ゆったりとくつろいでいると至福のひと時を過ごせます。

ラビハウズとアルク城を結ぶ通り筋にはモスク、メドレサ(神学校)、バザールなどがあり、オアシス都市ブハラの繁栄ぶりを今に感じとることができます。
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 Bukhara

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  Ark

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  Kalon Mosque

131117_05      Bolo-Hauz Mosque

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  Mir-i-Arab Medressa

131117_07      Ismail Samani Mausoleum



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シャフリサーブズの人たち  Shakhrisabz UZBEKISTAN

ウズベキスタンは旧ソ連邦の崩壊により、1991年に独立しました。
首都タシュケントではロシア系の人たちが半分くらいいるのではないかと思うほど街中で白人顔が目立ちます。
ところがシャフリサーブズではウズベク系のいわゆる濃い顔の人たちが圧倒的多数を占め、中央アジアのオアシス都市に来たことを実感します。
シャフリサーブズはまた14世紀後半ティムール帝国を築き、いまもウズベキスタンの民族的英雄ティムールの生まれた街でもあります。
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131110_02    Shakhrisabz

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サマルカンドのイスラム建築  Samarkand UZBEKISTAN

ウズベキスタンのサマルカンドは、古代よりオアシス都市として栄えてきましたが13世紀モンゴル軍により徹底的に破壊されました市の郊外に荒涼とした風景が拡がるアフラシャブの丘はかつてのサマルカンドの中心部です。
14世紀末から15世紀にかけてはティムール王朝の首都として復興しました。
その後レギスタン広場を中心に壮大な建築が数多く建設され、市街地が整備され今日にいたる繁栄ぶりを魅せてくれます。
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   Registan

131103_02
   Bibi-Khanym Mosque

131103_03 
  Shah-i-Zinda

131103_04    Gur-e-Amir Mausoleum
...more

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