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パタンのダルバール広場  カトマンドゥ盆地の広場考 その4   Kathmandu Valley NEPAR

カトマンドゥ盆地に三つあるダルバール広場の一つ、パタンのダルバール広場を観てみましょう。
ダルバール広場(王宮広場)は、南北に連なる通路状の広場を挟み、東側の王宮建築群と西側の寺院建築群が向かい合うかたちで配置されています。
東側には、ネパールの伝統的なネワール様式特有の装飾で飾られたスンダリ・チョーク、ムル・チョーク、ケシャブ・ナラヤン・チョークなどの王宮建築が連なっています。チョークとは本来王宮の中庭を示しますが、ここでは建物の名称として使用されています。
西側には、ネワール様式で建てられたハリ・シャンカル寺院、ジャガンナラヤン寺院、ビスワナート寺院などがあります。この広場の特徴として、インド建築の影響を強く受けた石造のシカラ様式の寺院、ナラシンハ寺院やクリシュナ寺院が、ネワール様式の寺院と混在していることです。
ダルバール広場のあちこちには、王やその家族が未来永劫に祈る姿を表した、手を拝むかたちで組んでいる像が、高い石柱の上で鎮座しています。スタジオヤマは、寺院群のなかでその石柱が広場のアイストップ的な役割をうまく果たしているなあと感心しました。
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バクタプルのダルバール広場  カトマンドゥ盆地の広場考 その3   Kathmandu Valley NEPAR

カトマンドゥ盆地に三つあるダルバール広場の一つ、バクタプルのダルバール広場を観てみましょう。

バクタプルは、カトマンドゥのにぎわいや喧騒に対し、田園地帯の小高い台地の上にある落ち着いた静かな街です、また「バドガオン」(信仰の街)とも呼ばれており、宗教的施設が街の各所にあります。

ダルバール広場(王宮広場)を取り囲む多くの建物は、1934年の大地震でほとんど崩壊しました、その後一部はドイツによって修復されましたが、いまだに基壇のみの寺院もあります。したがって建物密度が広場の大きさに比して低めなため、広々とした解放的な感じがします。
旧王宮の中にある、ナーガポカリとよばれる王の沐浴場は、ヒンドゥ教の神ナーガ(蛇)が廻りを囲み、さらに高く首を伸ばしているナーガが中を見下ろしています。
パシュパティナート寺院の大きく突き出した屋根を支える方杖(ほうづえ)には、神々と供にエロティックな像が彫られています。このような彫刻は、カトマンドゥ盆地で珍しいものではありません。
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ダルバール広場と通路でつながるトウマディ広場も素晴らしい。
広場正面には、カトマンドゥ盆地で最も高い高さ30mを誇るニャタポラ寺院があります。五層の大きな屋根を持つ寺院は、伝統的なネワール様式でデザインされています。基壇にはこの寺院を守護する各種の大きな石像が置かれています。
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カトマンドゥのダルバール広場  カトマンドゥ盆地の広場考 その2   Kathmandu Valley NEPAR

ダルバール広場(王宮広場)は、街中にあるチョーク (chowk) とよばれる広場と共通する要素が数多く見受けられます。いうなればダルバール広場とは、王宮に付属する広場に多くの宗教施設などが付加され、規模が大きくなり権威付された究極のネパール的広場と言ってもよいでしょう。
カトマンドゥ盆地に三つあるダルバール広場の一つ、カトマンドゥのダルバール広場を観てみましょう。
ダルバール広場(王宮広場)は、ハヌマン・ドカとよばれる王宮を中心に20数棟にもおよぶヒンドゥ教の寺院や各種の建築と、10箇所のチョーク(中庭)とで構成されています。ほとんどの建築は17世紀から18世紀にかけて建てられました、1934年の地震により大きな被害を受けましたがほぼ修復されました。
伝統的なネワール様式の建築が建ちならぶ豊かな景観は、訪れた人々を魅了してやみません、王宮の一部に白く塗られたネオクラシック調でこの広場にそぐわない部分があったとしてもです。
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カトマンドゥ盆地の伝統的な建築のスタイルは、盆地一帯に多く住んでいるネワール人にちなんでネワール様式とよばれています。その特徴を観てみましょう。
構造的には、木造の柱・梁・小屋組みと壁はレンガによる組積造とによる混構造です。したがって塔のように柱が前面に出てくる建築は一見木造にみえ、住居系の壁が主体の建築は組積造にみえます。このような未熟な混構造とアクロバット的なスケルトンは耐震性を著しく低くしています。
外観は、方杖(ほうづえ)に支えられた瓦葺の直線的な屋根と深い軒が幾重にも重なっています。
壁に穿たれた窓や出入り口などの開口部は、アーチの技術がないため、木造組立式のフレームによる補強をしています。フレームに独特な彫刻を施しそれがネワール様式の特徴の一つになっています。
生き神の住むクマリの館や、2階の窓からシヴァとその妻パルヴァティが町を見下ろしている木彫り像があるシヴァ・パルヴァティ寺院にその典型をみることができます。
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生活空間としてのチョ-ク  カトマンドゥ盆地の広場考 その1   Kathmandu Valley NEPAR

2015年4月25日にネパールを襲ったマグニチュード7.8の大地震は、多くの人命を奪い、建造物に甚大な被害をもたらしました。
被災された方々に心よりお見舞い申しあげます。
スタジオヤマがあえて震災前の写真を用いて〈 カトマンドゥ盆地の広場 〉 をブログするのは、ひとりでも多くの方がネパールという国、なかでもカトマンドゥ盆地という地域に関心を持っていただきたいと思うからです。ブログで紹介する写真のような姿を取り戻すには、長い時間と莫大な費用が必要でしょう。
スタジオヤマは、スタジオヤマにでもできることは何なのかを考え始めました。

ネパールのカトマンドゥ盆地には3つの主要都市、首都のカトマンドゥ、そしてかつての王都パタン、バクタプルがあります。各都市には旧王宮があります、そして王宮を含む多様な建築が集合化したダルバール広場 (Durbar Square) があります、ダルバールとはネパール語で「宮廷」という意味です。
さらに街中には、チョーク (chowk) とよばれる広場が数多く存在します。チョークとは歴史的には王宮や寺院などにある中庭を示します、現在では広場の意味で使用されている例が多いようです。
ネパールの広場を語るときこのチョークからスタートするのが順当でしょう。

カトマンドゥ旧市街の繁華な通りマカン・トールには、インドラ・チョークとそこから300mほど離れたところにアサン・チョークがあります、喧騒の中を歩いてみましょう。
チョークには必ずあるヒンドゥ教の寺院にお参りする人が鳴らす鐘の音が聞こえます。早朝には野菜などの食良品を並べたマーケットが開かれています。スパイス、お香、クルタスルワールなどの衣料品、ブランケット、布地、金属製の食器、靴などを扱う昔ながらの小さなお店が軒を連ねています。
この空間こそがカトマンドゥ盆地における広場の始原なのでしょう。
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郊外農村地帯のコカナ村にあるチョークにはまったりとした空気が流れています。
ダルマシャーラとよばれる休憩所に座って所在なさげにチョークを眺める人、屋外での作業に励む人、くつろぐ人、人間ばかりでなくガチョウもヤギも犬もいます。チョークは、軒を接して建てられた住宅に住む人々が共有する庭や作業場として機能しているのです。
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オアシス都市ジャイサルメール  Jaisalmer West INDIA

深夜、ジョウドプールを出発した寝台列車は、広大なタール沙漠を疾走し、沙漠のほぼ中心に位置するオアシス都市ジャイサルメール(Jaisalmer)に翌日早朝到着します。

かつてインドと西方を結ぶ交易の要所であったジャイサルメールは、海上交通の発展にともない寂れ、さらにパキスタンとの国境が閉鎖されるとタール沙漠のなかに取り残されてしまいました。それでも、800年以上続くラージプートの文化を伝承している街、としての輝きは失っていません。

三つの峰という意味を持つトリクータの丘に建設された要塞には、宮殿、寺院、住居などが混在し高密度な都市空間を形成しています
また要塞を取り囲むように発達した城下町には、当時の繁栄を物語るファサードを華麗に装飾された高層の大邸宅(ハヴェリー Haveli)が遺されています。

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アンベール、クンバルガル、チトルガル、ジョードプルなどラージャスターンの丘陵要塞  Amber Kumbhalgarh Chitorgarh Jodhpur West INDIA

西インドにある6つの要塞都市が「ラージャスターンの丘陵要塞」として、世界遺産に登録されました。それらを含む西インドの代表的な要塞都市をブログします。

要塞都市とは、外敵から都市を守るため、周囲を堀、土塁、城壁などの防御施設を設けた都市のことを言います。城塞都市、城郭都市、囲郭都市とも言います。

アンベール(Amber)は、ジャイプルの郊外に位置する要塞都市です。もともと砦があった丘陵に16世紀に入って、ラージプート族のラージャー・マン・シンによる大規模な築城が始められ、18世紀にジャイプルへ遷都されるまで、ラージプート族の首都でした。

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Amber


クンバルガル(Kumbhalgarh)は、標高1000mを超える山奥にあります。

堅固な城壁に囲まれた要塞は、15世紀ごろから建設が始まりました。

最盛期には、住居や300を超えるヒンドゥー教寺院やジャイナ教寺院がありました。一番高い丘陵の上に、バダル・マハル宮殿(Badal Mahal) が納まっています。

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Kumbhalgarh


チトルガル(Chitorgarh)は、クンバルガルと同じメーワール王国の要塞都市です。

幅1km、長さ5km、平地からの高さ150mもある丘陵のうえに難攻不落といわれた要塞が建設されました。要塞の中には宮殿やヒンドゥー教寺院、ジャイナ教寺院が散在し、特にインドでは珍しい塔建築が2基存在することで知られています。
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Chitorgarh


ジョードプル(Jodhpur)のメヘランガル城(Meherangarh Fort)は、街を見下ろす高さ120mの丘陵に、17世紀から19世紀にかけて建設されました。

城内には、隅が垂れたベンガル風の屋根を特徴とする宮殿が、中庭を囲みながら連なっています。宮殿の足元には市街地が広がり、中でも時計塔のあるサルダル・マーケット(Sardal Market)が魅力的です。
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Jodhpur


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ジャイプル ジャンタル・マンタルに智をみた  Jaipur West INDIA

ジャイプール(Jaipur)は、自然発生的に成長した都市ではなく、18世紀、都市計画によって整備された都市です。ピンク・シティと言った方がとおりがよいでしょう。

市街は城壁に囲まれ、7箇所にゲートが設けられています、碁盤目状の道路からなる整然とした市街の中央に宮廷地区があります。

ゲートをくぐり城壁に囲まれた現在の旧市街に入ると、特徴ある建築が数多くあります。

ハワ・マハル(Hawa Mahal)は、石で造られた格子状の出窓から、宮廷の貴婦人達が、外から見られることなく街路で繰り広げられる祭やパレードを眺めるために建設されました。

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ジャンタル・マンタル(Jantar Mantar)とは天文観測所です。

この種の建築をインド各地で何箇所か観ましたがジャイプールのが一番見応えがあります。

ときのマハラジャは、天球経緯儀、子午線儀など天体観測に必要な装置を、屋外に巨大なスケールで建設しました。西インドのこれでもかと装飾に満ちた建築を観続けていると、機能をかたちにした装飾のないフォルムに、現代建築の様相を感じ、それがいたく新鮮です。

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Jantar Mantar


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アーバーネリーとモデラーの階段池   Abaneri Modhera West INDIA

階段井戸が地下水を汲みあげる施設だとすれば、階段池(Kunda)は、雨水を溜める施設です。
両方とも降雨量が少なく、雨季と乾季がはっきりしている西インドでは重要な施設です。

ただし機能を満足させるだけであれば、これだけの壮大な建築にはならないと思います。そこには寄進者の権威と帰依を誇示する、あるいは宗教的儀式を執り行うなどの、付加的要素があってこそ、壮大かつ華麗なモニュメントとして建設されたのでしょう。

遺跡の名称が文献によっては階段池が階段井戸と記されたり、その逆もあります。遺跡を実際に観た印象から、神谷武夫「インド建築案内」の名称が適正だと判断し採用しています。

日本はもとより、世界的にみてもあまり類がない階段井戸、階段池をさらに詳しく知りたいかたに Steps to Water / Morna Livingston をお薦めします。

アーバーネリー(Abaneri)の階段池(Kunda)は、9世紀に建設されました。

一辺35mほどの階段池は、神殿風の建築の前、三方を地上からの深さ30mにもなる整然とした階段が取囲んでいます。
地下7層を誇る石造建築の印象は圧巻の一言です。

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Kunda  Abaneri

モデラー(Modhera)にあるヒンドゥ教のスーリヤ寺院と階段池(Surya Temple & Kunda)は、11世紀に建設されました。

寺院の内外の壁を埋め尽くす彫刻は見応えがあります、さらに軸線上に配置された、幅55m奥行35mある階段池との調和が素晴らしいです。

撮影していると、屋外授業でしょうか、子供たちがやってきました。

階段池に華を咲かせたようで、子供たちに感謝、感謝です。

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Surya Temple & Kunda  Modhera


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アダーラジとパータンの階段井戸  Adalaj Patan West INDIA

階段井戸(Baoli , Vav)とは、地下の水辺まで階段を利用して降りて行き、水を汲みあげる施設です、また気化熱の作用により人々に涼みの場を提供しました。

井戸ですから地上部分には目立つものがありません、が地下の最も深いところにある水辺に至る通路状の部分、土圧を受ける壁や柱、梁に彫刻などに装飾を施し、建築化しています。

階段井戸は、西インドの各地に数多く残されています

アダーラジ(Adalaj)のルダ階段井戸(Ruda Baoli)は16世紀に建設されました。

地上の三方からの階段が、踊り場的空間でひとつになり、シャフトを通じて井戸底へ降りて行きます。その体験は、暗い地底世界に足を踏み入れていくような奇妙な感覚です。

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Ruda Baoli  Adalaj

 

パータン(Patan)にある11世紀に建設された王妃の階段井戸(Rani Vav)は、インドで最大の規模を誇っています。

地上には何もありません。

幅17m、長さ65m、深さ28mにもおよぶ地下7層の階段井戸です。

地下の構造体である壁や柱、梁には、グジャラート彫刻の粋を集めたたくさんの神像が刻まれ、全体として巨大でかつ華麗なモニュメントとしてその存在感を誇示しています。

地下の建築物は地上に建設するより多くの労働力と、なによりも高い技術力が必要です。

スタジオヤマはこれだけの地下建築物を創った人々の熱意にただただ驚愕するばかりでした。

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Rani Vav  Patan


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山岳宗教都市 シャトルンジャヤ  Satrunjaya West INDIA

ジャイナ教徒にとって一番の巡礼地は、シャトルンジャヤ(Satrunjaya)です。
シャトルンジャヤでは、山上に900を超える祠堂が集まり、山岳宗教都市を形成しています。
都市といっても、飲食店やお土産屋さんはありません、僧侶の住居もありません、人々は夜明けとともに参拝し、日が沈む前に下山します、夜は無人となるのです。

さらに雨季の4箇月間は完全に閉鎖されるそうです。

スタジオヤマは、ふもとの巡礼宿を暗いうちに出発し、ほかの巡礼者とともに列をつくり3時間ほどで登りつめ、そして山上で夜明けを迎えました。

空が白み始めると、ジャイナ教の寺院群が眼前に展開し、その荘厳さに言葉に言い尽くせない宗教的な高揚を感じました。


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140803-02        Satrunjaya Mountain


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140803-04  Motishah Temple  Satrunjaya


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140803-06    Adishwara Temple  Satrunjaya

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マウント・アブとラーナクプルにジャイナ教建築の傑作を観る   Mount Abu Ranakpur  West INDIA

ジャイナ教は、マハーヴィーラ(紀元前6世紀-紀元5世紀)を開祖と仰ぎ、アヒンサー(非殺生・非暴力)の誓戒を厳守するなど徹底した苦行・禁欲主義をもって知られる宗教で、仏教の始祖、釈迦在世時代に生まれました。またマハーヴィーラの前に23人の祖師がいて24人目の祖師が開祖とされています。寺院は、24人いずれかまたは複数の祖師に献じられ、その彫像が本尊として祀られています。

ジャイナ教は、仏教と異なりインド以外の地にはほとんど伝わりませんでした、そのインドをみても人口構成比の0.4%しかいません。信者は、アヒンサーの教義ゆえに、農業や軍事に従事せず、多くが商業を営み経済的に裕福な人々です、また信者はその財政力をもって壮大華麗な寺院を数多く寄進しました。

ヒンドゥー教寺院の内部空間は、なにもないかあってもリンガが祀られている程度で、外部の装飾に飾られたマッスに比較して非常にあっさりしています。

それに対して、ジャイナ教寺院では祖師の彫像を中心に回遊してお参りします、その作法に合わせるように、豊饒な彫刻に飾られ内部空間を持ち荘厳な雰囲気を醸し出しています。

西インド、マウント・アブ(Mount Abu)のデルワーラ寺院群(DelwaraTemples)は、5つの寺院からなり、それぞれが回遊のための内部空間があります。壁、天井の白い大理石に彫られた繊細な彫刻が観る人を圧倒します。敷地内は撮影禁止のため紹介できないのが残念です。
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Delwara Temples

ジャイナ教建築の特徴を極限まで高めたのが、西インド、ラーナクプル(Ranakpur)のアーディナータ寺院(Adinatha Temple)です。
3層吹き抜け部に設けられた高窓や中庭からの自然光が、壁や天井に隙間なく彫られた白い大理石の彫刻を浮かび上がらせ、荘厳な内部空間を創出しています。

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140803-05        Adinatha Temple

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アフマダーバードとル・コルビュジエ  Ahmadabad West INDIA

インドはあらゆる事象において巨大で、かつ多様性に満ちている国です。
行くたびに新しい発見と体験があり、脳ミソがグルグルします。

広大な国土や世界第2位の人口などもさることながら、5000年を誇る歴史、多様な民族、宗教、言語、文化、風土、建築などが渾然と織りなす様は、一国の域を超えています。
インドを訪れた人は、インドは大陸であるという言葉が実感できるでしょう。


インドの建築を観て廻る人に道案内役として、神谷武夫著「インド建築案内」をお薦めします、(英訳版もあります:The Guide to the Architecture of the Indian Subcontinent )和書・洋書を含めてこれに勝るガイドブックはないでしょう。600を超えるインドの建築を、写真・テキスト・図面で紹介しています。さらにお薦め度を、星の数で記しています。(スリースターが最高ランク)

スタジオヤマはインドを何度となく訪れ延60日ほど滞在しました。

それでも「インド建築案内」のスリースターにランク付けされた都市と建築を観終ったにすぎません。全容を観るにはあとどのくらい時間が必要なのでしょうか、見当もつきません。

広大なインドを「インド建築案内」にならって5つの地域に分けてブログしたいと思います。

デリーを起点とする北インド、ムンバイを起点とする中インド、チェンナイを起点とする南インド、コルカタを起点とする東インド、アフマダーバードを起点とする西インド、です。

第1回シリーズは西インドをブログします。


西インドの主要都市のひとつ、アフマダーバード(Ahmadabad、アーメダバードAhmedabadともいう)は、グジャラートの伝統と近代的なインドが混在し活きづく魅力的な都会です。
19世紀イギリス統治時代は、インドのマンチェスターと呼ばれるほど綿織物工業が発展していました。かつての栄華は今見る影もありませんが、当時を偲ばせる建築は遺されています。
繊維業会館(Millowner’s Association Building)は、オーナー達のサロンとして、1956年フランスの建築家ル・コルビュジエ(Le Corbusier)の設計により建設されました。格子状の彫の深いファサードは、西インドの強烈な太陽光が直接室内に入るのを防ぎ、窓辺に植えられた植栽とともに、建築の存在感を際立たせる陰影を創っています。そこにスロープ状のアプローチ通路が突き刺さるように取りついています。60年近くたった現在でもその存在は新鮮です、スタジオヤマにとっては、あらためて近代建築の持つパワーに魅了された日でした。
 
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    Mill owner's Association Building

 

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崩れ行く廃墟の美ショナルガオン Sonargaon BANGLADESH

<黄金の都>という意味を持つショナルガオンは、バングラデシュの首都ダッカからバスで2時間ほどのところに位置しています。
水運の中枢都市だったショナルガオンは、12世紀から13世紀にかけて大いに発展し、17世紀ムガール帝国ベンガルの首都が、ダッカに移るまで東ベンガルの中核都市でした。
街の一角にヨーロッパ風の建築が立ち並ぶ地区があります、ここは19世紀末から20世紀中頃まで、ヒンドゥー教の裕福な商人たちが住んでいた地区です。
現在のバングラデシュが、東パキスタンとしてインドから独立した後、ヒンドゥー教の住人達はイスラム教徒の脅威から逃れるためにインドへ移住しました。
細い道の両側に並ぶかつて商人たちが住んでいた豪邸は、その後地元の人々が住み着いていますが、メンテナンス不足から朽ち果てた姿になってしまいました。
スタジオヤマはそこに<崩れ行く廃墟の美>を感じました。
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プティアの魅惑  Puthia BANGLADESH

バングラデシュのプティアは、建築とそれを取り囲む環境とが、見事に調和した美しい町です。
池や椰子の木の林に囲まれて大小10ほどのヒンドゥー教寺院と、ヨーロッパ風の建築などが、程よい離隔を確保しながら点在しています。
スタジオヤマは、そこに解放感とやすらぎを感じました。
数多くある建築のなかで、ゴーヴィンダ寺院は、ベンガル地方の典型的なヒンドゥー教寺院の特徴を、完成度の高い状態で統合されていることが見て取れます。
その特徴とは、正方形の点対称のプラン。三連アーチの開口をもち、テラコッタ・パネルで装飾された四面同形のファサード。中央部の主塔とその対角上の四方に小塔が立ち、全体として五塔式の屋根。軒線が水平でなく、カーブを描き四隅が垂れ下がっている。などなどです。
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カーンタナガルのテラコッタ寺院 Kantanagar BANGLADESH

カーンタナガルにあるカーンタジ寺院は、18世紀に建てられ、バングラデシュにあるヒンドゥー教の寺院の中で最も美しい寺院の一つと言われています。
レンガ造の寺院の表面はベンガラ色のテラコッタ・パネルで覆われています。
テラコッタ・パネルとは粘土が乾かないうちに彫刻をほどこして、釉薬をかけずに焼いた素焼きの陶板です。そこには動物や植物、幾何学模様、神々や説話の一場面、日常生活の様子などが、素朴なタッチで彫り込まれています。
スタジオヤマの知識程度では部分的な理解にとどまりますが、それでも創作者の意気込みは熱く伝わってきます。

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聖都パハルプール Paharpur BANGLADESH

現代のバングラデシュはイスラム教国ですが、8世紀から11世紀のベンガル地方は、パーラ王朝の支配を受け、仏教が庇護され大いに栄えていました、なかでもパハルプールはベンガル地方の一大仏教センターとして発展していました。
パハラプールを代表する遺跡、ソーマプラ僧院はインド亜大陸最大の僧院であり、単独の仏教僧院としては世界最大の規模を誇っていました。
現在はレンガ造りの基壇と土台の石、周壁などが残っているだけですが、当時330m四方の境内の中心には十字型の巨大な詞堂が立ち、その詞堂を取り囲むように数多くの僧室や仏舎利塔などがに建てられ、1000人を超える僧が修行に励んでいたそうです。

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140126-04           Somapura Vihara    Paharpur BANGLADESH

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ダッカの喧騒  Dhaka BANGLADESH

オールドダッカのブリゴンガ川に面した<ショドル・ガット/Sadar Gat>は川と運河の国バングラデシュを代表するような場所です。
そこでは、首都ダッカと地方都市を結ぶ船が接岸しその間を行きかう小舟、40万台とも言われる大量のリキシャが行き交うさま、周辺のバザールの賑わいなどなどで場の喧騒は想像を超えるものがあります、人によっては耐え難い状況なのかもしれません。
その喧騒を<混沌>と感じるか<都市の活力>と感じるかによってその都市のイメージががらりと変わります、ちなみにスタジオヤマは後者に感じました。

ダッカ詣でを誘う要因の一つとして、アメリカ建築界の巨匠ルイス・カーン/ Louis Kahn/
1901-1974年の代表作の一つ<国会議事堂/ Sher-e-Bangla Nagar> の存在があります。
コンクリート打ち放しに白大理石のボーダーを配したマッシブな外観を目の前にすると、建設資材の不足やローテクな施工技術しかない状況を克服し、建築史に残る作品を創りあげたルイス・カーンの偉大さに改めて感銘を受けました。

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 Sher-e-Bangla Nagar

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プロローグ

スタジオヤマ

Author:スタジオヤマ
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[時間][空間][写真]
[時間]とは歴史的な流れを
[空間]とは地球規模での拡がりを表しています。
スタジオヤマは時空を自在に
切り取る[写真]を通じ
自らの思慮を表現していきたいと思っています。
応援をよろしくお願いします。
スタジオヤマ
studioyama
一級建築士

ワークス
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