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クメール建築大全 その1  Khmer Architecture

 
カンボジア、タイ、ラオスにまたがり存在し、いまなお輝き、人々を魅了しづけるクメール建築を楽しんで頂きたいと思います。第1回目はアンコール・ワットおよびアンコール・トム内に展開する諸寺院です。
各遺跡の解説は極力簡単にしました。
その理由は、予備知識があまりなくてもクメール建築の特徴は、本質は、魅力は、などなどの全貌を、ヴィジュアルに直感的にイメージできるように構成したかったからです。建築様式分類、時代背景等々の文献的詳細について他のガイドブックを読むことでさらにイメージが膨らむでしょう。
 
ひとくちメモ
クメール建築とは、クメール王朝時代のクメール人の創作による建築の総称です。
また首都がアンコール・トム(現在のシュムリアップ地域)に置かれていた時代に最盛期を迎えたため、アンコール王朝、アンコール建築という呼称も一般的に使用されます。
王朝は、9世紀から15世紀まで現在のカンボジアを中心に存在していました。
12世紀から13世紀に最盛期を迎え、その版図は現在のタイ、ラオス、ベトナムまで拡がり、当時東南アジア最大の王国でした。
領土内には、寺院を主とする建築、道路・橋・灌漑施設などの土木施設が数多く遺されました。
 
 
《 アンコール・ワット  Angkor Wat 》 
アンコールとはサンスクリット語で王都、ワットはクメール語で寺院を意味します。
環濠(南北1.3km、東西1.4km)に設けられた参道を進んでいくと、回廊や4つの祠堂と中央にそびえ立つ高さ65mの祠堂の雄姿が見えてきます。
その規模と完成度の高さは、クメール建築の傑作というべき寺院です。
国旗の中央や紙幣にも国の象徴として描かれています。
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《 アンコール・トム Angkor Thom 》 
アンコール・ワットの北側に隣接するアンコール・トムは、永らくクメール王朝の王都でした。
王都は、東西南北軸に合致した一辺3㎞のほぼ正方形の城壁に囲まれ、城壁に沿って環濠があり、5つの城門が設けられた城塞都市です。
南大門 South Gate
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西大門 West Gate
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《 バイヨン Bayon
バイヨンは、各ゲートから真直ぐに延びる道が交錯するポイントに建立されました。配置的にも視覚的にもアンコール・トムの中心寺院であることを示しています。
仏教寺院の象徴である観世音菩薩の四面塔群、宗教的モチーフではないチャンパ軍との戦闘場面や庶民の日常を彫り込んだレリーフなどなどが訪れた人々を魅了します。
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《 パプオーン  Baphuon
三重の回廊を持つ寺院です。200mに渡ってビスタを絞る空中参道に注目しましょう。
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《 王宮 Royal Palace
城壁に囲まれています、アンコール・トムの城壁と合わせて2重の守りを固めた歴代王の住まいです。
王宮そのものは木造であったため現存していませんが、王の専用寺院であるピミヤナカスや沐浴場などが遺されています。
ピミヤナカス Phimeanakas
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沐浴場 Royal Pond
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《 王宮広場   Royal Square 》
明るく開けた広場を取り囲むように絶妙な間合いをもって各遺跡が配置されています。
王が広場を行進する兵を閲兵するときなどなどの公式行事を行う際、王の玉座が置かれた象のテラス、それに続くライ王のテラスが周囲より一段高く連続しています。
広場を挟んで、広場の領域を示すかのように12本の塔プラサット・スゥル・プラットが林立しています。
さらにその背後には、賓客の宿泊所だったといわれるクリアンが2棟配置されています。
王宮広場:テラスより望む
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象のテラス Elephant Terrace
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ライ王のテラス  Leperking Terrace 

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プラサット・スゥル・プラット  Prasat Suor Prat

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クリアン Khleang
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《 プリア・パリライ Prah Palilay
参道の十字型テラスから、細くてひょろひょろとした中央祠堂が見えてきます。
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《 プリア・ピトゥ Preah Pithu
それぞれ特徴のある5つの小寺院から構成されています、まるで寺町のようです。
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クメール建築大全 その2  Khmer Architecture

 
カンボジア、タイ、ラオスにまたがり存在し、いまなお輝き、人々を魅了しづけるクメール建築を楽しんで頂きたいと思います。第2回目はアンコール・トム周辺の寺院群です。
 
ひとくちメモ
主要なクメール建築は、ヒンドゥー教あるいは仏教の神々を祀っている寺院です。
当時の寺院は宗教的祭祀を行う場であるとともに、クメール人が考える理想の造形、神と同一視される王への尊厳などを表現しています。
寺院は、東西の軸線上に伽藍が展開します。東側にメインの入り口を設けることが原則です、すなわち正面です。例外的にアンコール・ワットは西側が正面です。ただし自然の地形を利用したためなどの理由からこの原則から外れる寺院もあります。
また中国や日本の寺院建築のように、正面性を強く意識させるのではなく、東西南北全てに入口と正面性を持つ4分屋という造り方をします
 
スタジオヤマ流の拝観の仕方を紹介しましょう。
参拝するとき必ずメインの入り口から入り、中心の祠堂に向かって進みます。時間がない、近道などの理由により、逆からあるいは横から入る人がいますがそのような参観は決してしません。
なぜならば王道を進むことにより、建築家(作者、デザイナー)が意図した空間を知覚体験できるのです。いいかえれば創作された物語を建築家の意図したとおりに鑑賞しうる唯一の方法なのです。
遺跡全体の構成を頭にいれて、次はデティール(詳細)を楽しみましょう。
まずは、入口のテラスにみられるナーガ:頭が5つないし7つ9つある蛇神・不老不死のシンボル、があなたを迎え入れてくれるでしょう。
さらに前に進むと、祠堂入口の頂部などに彫刻としてみられるヒンドゥー教の三大神、ブラフマー:天地創造の神、ヴィシュヌ:太陽神、シヴァ:破壊と創造の神、などを中心にさまざまな神が祀られているのが眼に入ってきます。
祠堂の内部には、シヴァ神の象徴であるリンガとヨニが祀られています。リンガ(おちんちん・男根)が、円形のプレート、ヨニ(われめちゃん・女性器)をつらぬいている状態で鎮座しており、生殖と豊穣をわかりやすくシンボライズしています。
遺跡が仏教寺院であれば観世音菩薩の巨大な仏頭が眼を引きます。
さらに、踊り子を意味するアプサラや女神デバターが、華麗に美人コンテストを競い合っています。
窓にも注目しましょう、そろばん玉を重ねたような円柱状の連子窓からの光が、祠堂のなかに鋭いコントラストを創り出し、まるで空間をナイフで切りつけたような印象を与えてくれるでしょう。
 
 
《 プリア・カン  Preah Khan
複雑な平面をもつ大規模な仏教寺院です。メインアプローチである東側の塔門をくぐると、クメール建築では非常にまれな2層の建築が眼に入ってきます。
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《 バンテアイ・プレイ  Banteai Prei 》
環濠と回廊に囲まれた寺院内部には、十字型の平面を持つ祠堂があります。
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《 プラサット・プレイ  Prasat Prei
個性的な顔をした女神デバター像が祠堂の壁面を飾っています。各寺院のデバターには、それぞれ実在のモデルがいるといわれています。
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《 ニャック・ポアン  Neak Pean
中央の正方形の大きな池に4つの同じく正方形の小さな池が配置されています。大きな池の中心には、円形の基壇を2匹のナーガ(蛇神)がぐるぐる巻きしている中央祠堂があります。全ての遺跡が、図形の中で最も単純な正方形(理性)と円(感性)で全てを表現しきったところに拍手です。
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《 クロール・コー Krol Ko
周壁東側の塔門から中に入ります。境内には、拝殿と祠堂、少し離れて経蔵が配置されているのが見て取れます。
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《 タ・ソム  Ta Som
剣を持った門番の神が出入口の両脇を固めています。
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《 チャウ・スレイ・ヴィヴォル  Chau Srei Vivol
中央祠堂の大量の石材ピースを目の前にすると、この程度の規模の祠堂でも建設するには大変な時間と労力が必要なのだろうな、ということを実感できます。
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《 バンテアイ・サムレ  Banteay Samre
2重の高い周壁に囲まれまるで要塞のようです。実際ポル・ポト政権時代には刑務所として使われていたそうですが、なかに入るとそのイメージとは逆に保存状態もよく実に華やかです。
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《 トマノン Thommanon
東側の塔門から、拝殿、祠堂、西側塔門と軸線上に伽藍が配置され解りやすい動線でお参りできます。
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《 チャウ・サイ・デボーダ  Chau Say Tevoda
祠堂壁面を飾るデバターのクラウンとイアリングがとても優美です。
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《 タ・ケウ Ta Kev
王の死により未完に終わった大規模寺院です。装飾があまり施されてないいわば躯体のままの状態で現在にいたっています。そのことにより、形態のマッスが純な形で表現され迫力を創出しています。
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《 タ・ネイ Ta Nei
回廊の東側塔門から境内に入ると、経蔵と祠堂が崩れそうになりながらも建っています。
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《 東メボン East Mebon
東バライは、東西7km、南北2kmの灌漑用貯水池です、ただし現在では水はありません。その中心に東メボンが建立されました。当時の人々はお参りするさい船で往来したのです。
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クメール建築大全 その3  Khmer Architecture

 
カンボジア、タイ、ラオスにまたがり存在し、いまなお輝き、人々を魅了しづけるクメール建築を楽しんで頂きたいと思います。第3回目は、前回からの続きアンコール・トム周辺の寺院群です。
 
ひとくちメモ
人類は建築の進歩を追い続けてきました、現在でもそうです。
建築の進歩を計る尺度を、いくつかある中から2つあげましょう。
ひとつは外部空間の壮大さ特に高さにおいて、2つめはスパン(梁間)をとばして無柱で広い天井の高い内部空間を造ること、です。
これらを達成するには、構造、構法、材料などの技術的進歩が必要です。
クメール建築は、外部空間のすばらしさにたいして、内部空間の貧弱さは一目瞭然です。
なぜでしょうか。
クメール建築の構造材料は、主にラテライトと呼ばれる石材と焼成レンガです、この材料を一個一個少しづつずらしながら 〈迫出し構法〉 積み上げて 〈組積造〉 内部空間を造っていきます。この構法を採用する限り、無柱の大空間は生まれません。同時代のイスラム教建築やキリスト教建築が同じ組積造でありながら、アーチ構法の採用により無柱の壮大な内部空間を手中にしたのと対照的です。
そもそもクメール時代の宗教活動において、充実した内部区間を必要としなかったのかもしれません、研究者の成果を待ちましょう。
 
 
《 プレ・ループ  Pre Rup
3段の基壇の上に5本の祠堂が立つ壮大な寺院です、1層目の基壇にある石槽は死者を荼毘に付す際に使用されました。ちなみにヒンドゥ教徒は墓を造りません、遺灰は川にながします。
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《 プラサット・バッチュム  Prasat Bat Chum
入口階段の両側に立つ獅子像と破風のわずかな彫刻が遺っています。それでも全体のヴォリュムは十分に理解できます。
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《 プラサット・クラヴァン  Prasat Kravan
一つの基壇の上に5つの祠堂が載っています。中央の祠堂内部のレンガ壁にはヴィシュヌ神の3態、中央に8本腕のヴィシュヌ神、左側は3歩で世界をまたぐヴィシュヌ神、右側にガルーダに乗るヴィシュヌ神、が彫刻されています。
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《 スラ・スラン  Sras Srang
王が沐浴するための池です。東西700m、南北300mの大きさです。
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《 バンテアイ・クディ  Banteay Kdei 》
2001年、上智大学アンコール遺跡国際調査団によって200体以上の仏頭が切り離された仏像と千体仏が刻まれた石柱が発見されました。寺院の宗旨の変遷が解る発見として注目されています。
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《 タ・プローム  Ta Prohm
スポアン(ガジュマル)の根が遺跡を押しつぶそうとしています。この様子が魅力なのでしょうか、大変人気のある遺跡です。
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《 バクセイ・チャムクロン  Baksei Chamkrong
4層の基壇の上に祠堂が一つ載っています、各辺の中央には階段が設置されています。単純な構成ゆえにピラミッド型寺院の構造がよく理解できます
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《 プノン・バケン  Phnom Bakheng
クメールの大地が一望できるプノン・バケン山の頂上に建立されました。
はるか彼方にアンコール・ワットが観えます、ということはアンコール・ワットの方からもプノン・バケンを望むことができます。そういう相互関係なのです。
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《 西バライ West Baray
アンコール・トムを挟んで、東バライがあり西バライがあります、バライとは灌漑用貯水池のことです。西バライは現在も現役で使用されています。屋台なども出て、水泳場もありシュムリアップ市民の憩いの場となっています。
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《 ワット・アトヴィア Wat Athvea
アンコール・ワットと同じく、西側からがメインアプローチの数少ない寺院です。
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《 プノン・クロム Phnom Krom
トレンサップ湖を望む小さな山の頂上に建立されました。祠堂の外壁が崩壊していくというより、風化して溶けだしていくという印象を受けます。
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《 ロレイ Lolei
ロリュオスとは、アンコール・トムに移る以前に王都があったところです。現在、主な遺跡としてロレイからブログする3つの寺院がロリュオス遺跡群として遺されています。
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《 プリア・コー Preah Ko
基壇の上に前に3つ後ろに3つの祠堂が並びます、このことにより祠堂群の中心性より正面性を強調しているのです。
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《 バコン Bakong
ロリュオス遺跡群の中では最大規模を誇り、かつ完成度が最も高い寺院です。
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クメール建築大全 その4  Khmer Architecture

 
カンボジア、タイ、ラオスにまたがり存在し、いまなお輝き、人々を魅了しづけるクメール建築を楽しんで頂きたいと思います。第4回目はアンコール・トムから遠く離れたカンボジア領内の遺跡です。
 
ひとくちメモ
クメール建築をより深く知りたい場合はどうしたらよいのでしょうか。
ガイドブックとしては、地球の歩き方〈 アンコール・ワットとカンボジア 〉がベストだと思います、ひと昔まえの本の小口がブルーだったころの版に比べて格段の進歩です。内容についてもlonely planetの〈 Cambodia 〉と同等かそれ以上の出来です、ただしお互いに触れてない部分があります、よって補完する意味で2冊通読するのがよいのではないでしょうか。
遺跡の見どころをさらに詳しく知りたいなら〈 FOCUSING ON THE ANGKOR TEMPLES 〉が、図版を豊富に用いて、これでもかというくらい詳細に紹介しています。
タイ、ラオスのクメール建築のガイドブックとしては〈 KHMER TEMPLES IN THAILAND AND LAOS 〉が内容的に充実しておりハンディで使いやすと思います。
いわゆるアンコール本は、ネットで検索すれば山ほど見つかるのであえて取り上げません。
遺跡ハンターを目指すなら、日本の国際協力機構(JICA)が刊行した〈 シュムリアップ地域の1/10000地形図 〉は必携でしょう。
遺跡をさらに奥深く本質を理解するための資料として実測図があります。
実測図とは、文字どおり実際に遺跡にものさしをあてて測り、平面図、立面図、断面図などにまとめたものです。よって作成には膨大な時間と労力が必要です。
アンコール・ワットを例にとるならば、フランス国立極東学院(EFEO)が刊行した〈 ANGKOR VAT DESCRIPTION GRAPHIQUE DU TEMPLE 〉があります。スタジオヤマは、この113枚のプレートからなる実測図を観ていると、そのたびに新しい発見があり、無限の想像力が湧いてくるような気になります。
 
 
《 バンテアイ・スレイ  Banteay Srei
規模的には小さな遺跡です。精緻で圧倒的なヴォリュムのクメール彫刻で飾られた祠堂を観ていると時間が経つのを忘れます、そういう意味では大遺跡です。
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《 ベン・メリア  Beng Mealea
現在でも発見当時のままで、修復の手が入っていない遺跡です。足場の悪い誰もいない密林のなかを写真をとりながらうろついていると、思わずこれが遺跡なんだ!と呟いてしまいました。
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《 クバール・スピアン  Kbal Spean
シュムリアップ川の源流である小さな川の川底や川岸にある石に、ヒンドゥ教の神々が彫られています。
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《 コー・ケー遺跡群  Koh Ker
コー・ケーには10世紀短い期間ですが王都が置かれました。この地方の中心都市だったのです、数多くの寺院が遺されました、中でもプラサット・トムは7段の基壇を持ちコー・ケーを代表する寺院です。
 プラサット・トム  Prasat Thom
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プラサット・リンガ‐1  Prasat Linga-1
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プラサット・ニエン・クマウ  Prasat Neang Khmau
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プラサット・プラム  Prasat Pram
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《 ソムボー・プレイ・クック遺跡群 Sambuor Prei Kuk_ 
ソムボー・プレイ・クックは、7世紀かつてチェンラと呼ばれたころの王都です。クメール人によって創られた最初期に属する遺跡のひとつです。
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《 プリア・カーン Preah Khan
コンポンスヴェイという町にあります、シュムリアップにあるプリア・カーンとは別寺院です。南塔門が実にフォトジェニックで感心することしきりです。
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《 プリア・ストゥン Preah Stung
小さな寺院です、が観世音菩薩の4面仏は一級品です。
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《 バンテアイ・チュマール Banteay Chhmar
回廊の外壁には、チャンパ軍との戦争などを彫り込んだレリーフが数多く遺っています。バイヨンのレリーフとよく似ています。極めつけは、西側外壁に遺る千手観音のレリーフでしょう。
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《 プリア・ヴィヘア Preah Vihear
ダンレック山脈の斜面を利用した1.5kmにもおよぶ長い参道を歩いてお参りします。
タイとカンボジアの国境に位置します、最初に訪れたときはタイ側から入りました、2回目からはカンボジア側からでした。
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クメール建築大全 その5  Khmer Architecture

カンボジア、タイ、ラオスにまたがり存在し、いまなお輝き、人々を魅了しづけるクメール建築を楽しんで頂いたでしょうか。最終回の第5回目は、ラオス、タイにある遺跡です。
今回取り上げた遺跡のうちワット・プーのみラオスにありますが、残りの遺跡は全てタイにあります。

 ひとくちメモ 
スタジオヤマが初めてクメール建築を観たのは1996年8月のことでした。
そのころのカンボジアの状況は、クメール・ルージュなどとの内戦が終結しカンボジア王国が建国され、またUNTAC監視下のもと議会選挙がおこなわれシハヌーク殿下が1993年再即位した時代です。
ようやく今に続く平和が訪れたのです。
当時、アンコール・ワットでさえ雨期の期間中とはいえ人がパラパラといる閑散とした状況でした。
また地方は、治安が回復していない、遺跡の周りは地雷だらけということで訪問は叶いませんでした。
現在、アンコール・ワット周辺の遺跡群には、世界各地から年間300万人以上が訪れます。
隔世の感があります。
 
このブログで紹介したクメール建築は、スタジオヤマが把握している遺跡のうち、建築史学的に重要な遺跡というより、フォトジェニックなクメール建築のほぼ全てです。
掲載した写真は現況と異なる場合があります、その理由は時代の経過のなかで遺跡そのものが修復された、あるいは遺跡を取り囲む環境が大きく変わった、などなどです。
現在のカンボジア、ラオス、タイに秘境はありません、行きつくのに困難な遺跡はありません、すべての遺跡は車などで容易にアプローチすることが可能です。
このような状況だからこそ、願わくば静かに見守ってほしい、言い換えれば人知れず孤高を保って欲しい遺跡は数多くあります。
 
 
《  ワット・プー   Wat Phau
建築的に特に注目するべきものはあまりありません。ただし背景の山並みと広大な敷地に建築が点在するランドスケープ的な観点からすれば第一級の寺院であることは間違いありません。
惜しむらくは、この写真のような牧歌的な風景はもう見られません。I11_070804-(55).jpgI12_070804-(110).jpg
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《 プラサット・ムアン・シン   Prasat Muang Singh
アンコール・トムから直線距離で500km以上離れています。王都から最も遠い寺院でしょう。
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《 プラン・ケック   Prang Kheak
市街地のど真ん中にあります。創建当時から都市型寺院だったのでしょう。
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《 プラ・プラーン・サム・ヨット   Phra Prang Sam Yot
3つの塔が高くそびえ、町のランドマークとなっています。
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《 ワット・プラ・シー・ラタナー・マハタート  Wat Phra Sri Rattana Mahathat
もともとのクメール建築に、のちの改修や増築により様々なタイの様式が混ざっています。例えばスリランカ風の仏塔などです。
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《 プラサット・ムアン・タム   Prasat Mueang Tam
ナーガで飾られた環濠と、ラテライトで造られた周壁から中央祠堂が見え隠れしています。
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《 プラサット・パノム・ルン   Prasat Phanom Rung
小高い山の頂部に建立されました。長い参道を進んでいくと中央祠堂が見えてきます。
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《 プラサット・ピマイ   Prasat Phimai_
広大な敷地の中に遺跡が程よい間隔を保って配置されています。最初の門は市街地に取り込まれた300mほど先にあります。
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《 プラサット・タ・ムアン・トム   Prasat Ta Muan Thom
タイ・カンボジア国境のジャングルのなかにあります、双方の国が領有権を主張しているのでしょう、それぞれの軍が駐留し監視していました。
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中国福建省永定県に福建土楼を訪れる その2  Fujian CHINA

福建土楼(フージィェントゥロウ)を観に中国福建省永定県(ヨンディンシィェン)を訪れました。
前回の続きです。

福建土楼はこれからどうなるのでしょうか。
現状をリポートすれば、往時の一族が同居している本来の姿で、活況ある土楼はみかけませんでした。
状況は、ある程度の住人がいる、さらに過疎化が進んで老人が数家族で暮らしている。住人はいない、廃墟になっている。観光施設として生きながらえている、この三つがみえてきます。
過疎化が進む要因は、一族で一つの家に居住するという習慣が、現在では中国の農村部でも崩れつつあるということでしょう。また住居としての質を考えた場合、他の現代住宅と比較して著しく劣っています、つまり住みずらい住宅となってしまったのです。
現在は、博物館ではなく、お土産さんでもなく、なおかつ人々が暮らしている、生きている土楼をみれる最後の時代なのかもしれません。福建土楼の未来は決して明るくありません。
ところで中国の本屋さんに行くと、福建土楼を含む中国各地の民居を紹介した「古鎮遊」という毎年新版が出るガイドブックが、平積みにして販売されています、地方の古い街並みを訪れるのがブームなのでしょう。スタジオヤマは、このようにみんなが関心を持つことによって、これからの福建土楼の在り様としての、新しい策が生まれることを期待したいと思います。

《 大夫第 》
タイフゥティ/五鳳楼  1835年竣工、軸線上左右対称に主要な建築が連続して配置されています。
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《 遺経楼 》
イーチンロウ/方楼  奥の白漆喰で化粧された建築は、住居ではなく物置として使用されています。
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《 永隆昌楼 》
ヨンロンチャンロウ/五鳳楼  延床面積10,000㎡を超える大型土楼です。
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《 深遠楼 》
シェンヴェンロウ/円楼  2階建ての祠堂などを、4階建ての住居が取り囲んでいます。
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《 五実楼 》
ウースーロウ/方楼  だれも住んでいません、この姿で何年存在しえるのでしょうか、廃墟の美です。
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《 振成楼 》
チェンチョンロウ/円楼  1917年竣工、手すり、窓枠などにモダンなデザインを取り入れています。
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《 奎聚楼 》
クイジュロウ/方楼  敷地は田んぼを見下ろす斜面地です、各建物は階段状に配置されています。
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《 福裕楼 》
フーヴィロウ/五鳳楼  土楼を建てた三兄弟が住むため、内部は三つに区画されています。
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《 環興楼 》
ファンシンロウ/円楼  外部の浴室、トイレなど別棟も同心円状に配置されています。
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《 世澤楼 》
スーチェーロウ/方楼  4階建て、天井には祠堂などの共用建物が配置されています。
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《 僑福楼 》
チャオフーロウ/円楼  1962年竣工、石造の柱があるポルチコ状の部分は祠堂です。
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《 順源楼 》
シュンヴェンロウ/方楼  敷地の形状にあわせて五角形の土楼です。
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《 承啓楼 》
チョンジンロウ/円楼  内外とも状態が非常によい、かつ人が住んでいます、福建屈指の土楼です。
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中国福建省永定県に福建土楼を訪れる その1  Fujian CHINA

福建土楼(フージィェントゥロウ)を観に中国福建省永定県(ヨンディンシィェン)を訪れました。
2回に分けてブログします。

土楼では人々はどのように暮らしてきたのでしょうか。ティピカルな土楼をみてみましょう。
中央の広場には祖先を祭る祠堂や井戸などの共用施設があります。
それらを取り囲むように、住戸が配置されています。
各住戸の専有部分の構成は、1階は食堂や台所、2階は農作物などの倉庫、3・4階に寝室が配置されています。また住戸は日本の団地と同様に、プラン、仕様がすべて共通の標準タイプで占められています。
1階から最上階まで垂直区分で所有する状態は、一見してメゾネット住戸にみえますがそうではありません。専用部分に階段がありません、食事が終わり寝室に行くには共用の階段と外部の解放廊下を経ていくルートしかありません。ただし例外的に大規模な土楼では住戸内に階段があるタイプもあります。
トイレ、浴室は土楼から出た外部にあります。夜間は土楼のメインゲートが閉まりますので用足しは「おまる(馬桶)」を使用します。
土楼での暮らしぶりを経済的、社会的にみるならば、儒教に基づく家父長制に基盤をおいています。
一族の家父長は、宗祖を祀り、すべての家族を統率し内をおさめ、対外的には一族の代表として事に当りました。かつては収入と支出は家父長が管理し、男子は財産に対して平等の権利を持っていました、原始共産性のような社会だったのでしょう。
土楼の外を閉じ内に解放し平等性を重んじた造りは、暮しぶりを如実に反映させた結果のです。

《 初渓土楼群 》
チューチートウロウチン  近くの山の上から観た円楼と方楼が程よく混在した土楼群は見ごたえ十分です。村内を散策していると、訪れる人があまりいないのでしょうか、村人の興味津々の視線を感じます。
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《 集慶楼 》
         ジーチンロウ/円楼  例が少ない、各住戸ごとに専用階段があるメゾネット方式(単元楼)です。
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          《 縄慶楼》
     シォンチンロウ/方楼  4階建て、初渓土楼群を代表する方楼です。
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     《庚慶楼 》
     ゴンチンロウ/円楼  住居部分に囲まれた中央の円形の建物は、祠堂などの共用部分です。
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《 襄正楼 》
シャンチョンロウ/方楼  土楼の中に入ると、生活臭で満ち溢れた暮らしぶりを眼の前でみれます。
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《 栄昌楼 》
ロンチャンロウ/円楼  外壁が漆喰で化粧されています。これが土楼一般の本来の姿なのでしょうか。
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《 富紫楼 》
フーズーロウ/方楼  廃屋寸前ですが人が住んでいます。こうなると加速度的に崩壊が進みます。
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《 徳輝楼 》
ドオフイロウ/方楼  方楼の場合、角部屋の扱いがデザインの要なのでしょう。
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《 振福楼 》
チェンフーロウ/円楼  1913年竣工、渓流のほとり建つ姿が美しいです。
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《 衍香楼 》
イェンシャンロウ/円楼  直径40m、4階建ての土楼。こちらも渓流のほとり建つ姿が美しいです。
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《 環極楼 》
ホワンジイロウ/円楼  1693年竣工、300年以上の歴史があります。

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《 東成楼 》
トンチョンロウ/方楼  方楼ですが四隅を隅切りしています、よって八角楼と呼ばれています。
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中国福建省南靖県に福建土楼を訪れる  Fujian CHINA

福建土楼(フージィェントゥロウ)を観に中国福建省南靖県(ナンジンシィェン)を訪れました。

福建土楼の形態あるいはマッスに注目してみましょう。
平面のかたちが円形または楕円形の 〈 円楼 〉 、4角形の 〈 方楼 〉 、かたちが複雑で城郭のような 〈 五鳳楼  〉 を基本とし、それらから派生した、物見塔のあるもの、要塞のような外壁がなく解放的に造られているものなどなど各種のヴァリエーションが知られています。
大きさは、直径または一辺が80m、高さが20mを超える土楼もあります。
土楼の名称にもなっている外壁は、生土(シォントゥ)と呼ばれる地元産の赤土や黄土を、型枠に入れ上から押し固めた、版築造で造られています。その厚さは根元で2m以上になるものもあります。
ティピカルな土楼では、ひとつしかない門から中に入ると、中庭状の広場に出ます。広場は石で舗装され井戸の他なにもないか、または先祖をまつる祠堂が置かれているかでしょう。その周囲を、外壁を支えとして木造の3層ないし4層の居住部分が取り囲んでいます。全ての建屋の屋根は瓦で葺かれています。
土楼の外部は開口部が極端に少なく要塞そのものですが、内部の中庭状の広場は天井(ティェンジン)と呼ばれる光庭となっています、その存在が空間に統一のとれた解放感をもたらしています。

《 懐遠楼 》
ホワイヴェンロウ/円楼  4階建て、直径38m、中央に祠堂が祀られています、典型的な円楼です。
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《 和貴楼 》
フォークイロウ/方楼  5階建て、懐遠楼と同様に中央に祠堂が祀られている典型的な方楼です。
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《 順裕楼 》

シュンヴィーロウ/円楼  直径74mを誇る円楼、中は建物があまりなく広場状に開放されています。

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《 振徳楼 》
チェントウロウ/方楼  住人がいる様子が無く、建物全体が物置状態です。
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《 長源楼 》
チャンヴェンロウ/方楼  川に沿った斜面に建てられています。擁壁の石垣も美しいです。
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《 河坑土楼群 》
フォークォントウロウチン  山間の谷地に土楼が点在する風景は壮観です。民宿、土産物店などに改修された土楼があります、村全体が入場料を取るテーマパークになっています。
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    《 永慶楼 》
    ユンチンロウ/円楼  中心に井戸だけがあります、周りは石で舗装された広場です。
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    《 朝水楼 》
    チョウスイロウ/方楼  一部民宿になっています。住人たちが門の前でくつろいでいました。
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    《 裕昌楼 》
    ヴィーチャンロウ/円楼  3階建て、内部は永慶楼を大きくしたつくりになっています。150517-12

     《 陽春楼 》

    ヤンチュンロウ/円楼  村の周囲は山間の田園風景が広がります。

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《 裕昌楼 》
ヴィーチャンロウ/円楼  5階建ての大型円楼、バスが乗りつける観光施設です。
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《 裕徳楼 》
ヴィトウロウ/円楼  美しい渓流に面していくつかの土楼が建ち並んでいます。
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《 順昌楼 》
シュンチャンロウ/円楼  築70年ほど、土楼としては新しい部類に入ります。
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《 田螺坑土楼群 》
ティエンルオコントウロウチン  上から見たとき、山奥に何でこんなものがあるのか、という不思議な感覚におそわれます。民宿、食堂、土産物店と観光化の度合いが著しく進んでいます。
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    《 歩雲楼 》
    プーヴィンロウ/方楼  土楼群の中心的存在。
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    《 文昌楼 》
    ウォンチャンロウ/円楼  1968年に完成した群の中で最も新しい土楼。楕円形をしています。
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中国福建省華安県・平和県に福建土楼を訪れる  Fujian CHINA

福建土楼(フージィェントゥロウ)を観に中国福建省華安県(ファアンシィェン)・平和県(ピンフォシィェン)を訪れました。

福建土楼とは、おもに中国の客家の人々が集団で暮らす巨大な民居(ミンジュ)のことです。
名前の由来は、福建省の山間部に大規模で典型的な土楼が数多く存在するということからでしょうか、ただし福建省以外にも土楼はあります。また客家土楼ともいいます。
漢人である客家の人々は、秦の時代より戦乱から逃れるため中原から南へと移動・定住を繰り返してきました。移住先では先住民から見て「よそ者」であるため、客家と呼ばれました。この過程において定住地に、居住空間でもありまた外敵から一族を守るための要塞でもある民居を築き上げてきました。
一つの土楼で住民の数が700人を超える大規模なものもありました、出自を同じとする血縁家族が、ひとつ屋根の下で寝食を共にして暮らしていたのです。
現代の超高層マンションならともかく、これだけの規模を誇る集合住宅は、近世までに限れば世界的にみても福建土楼だけでしょう。

福建土楼をさらに詳しく知りたい方へ
黄漢民の「福建土楼」がいまでも第一級の基本資料です。20年ほど前、スタジオヤマはこの本を手にした時 〈 世の中にこんな建築もあるのか 〉 という驚きを今でもはっきり覚えています。台湾の漢聲雑誌社版オリジナル本が素晴らしい、美術書としての出来もエクセレントです。三聯書店の改訂コンサイス版ならば容易に入手できるでしょう。
日本の研究者による「中国民居の空間を探る」「客家民居の世界」も負けてはいません。日本語のガイドブックとしては「旅行人ウルトラガイド客家円楼」が唯一のものでしょうか。

《 二宣楼 》
アルイーロウ/円楼  1770年に竣工。福建土楼の中で完成度が高い土楼の一つです。
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《 南陽楼 》
ナンヤンロウ/円楼  二宣楼の近くにあります。内部の構造も二宣楼にほぼ同じです。
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《 東陽楼 》
トンヤンロウ/方楼  二宣楼の近くにあります。小型ですがしっかりと造られています。
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《 昇平楼 》
ションピンロウ/円楼  福建省では珍しい石積みの楼。土楼というより石楼です。
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《 斉雲楼 》
ジーヴィンロウ/円楼  石を積んだ基底部分は、1590年創建当時のものです。
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《 闕寧楼 》
ジュエニンロウ/円楼  直径76mを誇る大型円楼、昔は円楼の外側に馬蹄形の棟がありました。
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《 西爽楼 》
シーシュワイロウ/方楼  横86m縦94m福建省最大の方楼。人が住んでいる気配がありませんでした。
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《 雨傘楼 》
ヴィーサンロウ/円楼  棚田の岡の頂上に位置しています。行き着くのは難しいかも知れません。
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ベトナム阮王朝の建築 陵墓  Hue VIETNAM

ベトナム、フエ郊外には、13代続いた阮(グエン)王朝の各皇帝および彼らの母、妃、子供などの陵墓が数多く残されています。

初代皇帝の嘉隆(ザーロン)帝陵を、配置図(建造物を地図上にプロットしたもの)片手に鑑賞すると、建築の配置、それらを取り囲むように造られた池の形などにそれぞれ意味があり、当時の皇帝の宇宙感を具現化していることが理解できます。

啓定(カイディン)帝陵は、ベトナム・バロックというべき華麗な装飾を魅せてくれます。

他の帝陵のような大規模な庭園を持たず、階段状のテラスに建築を配置し、全体をコンパクトで濃密な空間にまとめています。

明命(ミンマン)帝陵は、陵墓のゲートである大紅門から皇帝墓までのアプローチ軸線上に、庭、池、建築などが連続的に展開し、典型的でかつ見事なシークエンス空間を構成しています。

実際にその空間の中を歩いて見ましょう。

建築や植栽などにより可視空間が拡がったり狭まったりし、同時に階段などにより目線の高さが変化していること。合わせて明るさなど人間の五感に訴える全ての要素を動員して、陵墓全体が、一番奥の主が埋葬されている墓に参拝する気概を醸成する舞台装置となっていること。

などなど、設計者の意図したとおりの体験ができます。


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140720-03 140720-04       啓定帝陵


140720-05      大紅門 明命帝陵

140720-6      碑亭 明命帝陵
140720-7     顕徳門 明命帝陵

140720-8      崇恩殿 明命帝陵
140720-9      明楼 明命帝陵
140720-10       皇帝墓 明命帝陵

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ベトナム阮王朝の建築 皇城  Hue VIETNAM

阮(グエン)王朝は、ベトナム全土を1802年から1945年まで支配した、最初にして最後の統一王朝です。
首都フエには、皇帝が居住する皇城がおかれました、また郊外には各皇帝の陵墓があります。

阮朝の建築は、中国建築の影響を強く受けています。

同じベトナム建築のチャンパ建築とは全く様相が異なります。

皇城を観てみましょう。

建物の多くはベトナム戦争の爆撃によって破壊されてしまいました。

配置図(建造物を地図上にプロットしたもの)を参照すると、今は存在しない建築も合わせて、中心軸上に左右対称に、主要な建築が配置されていたことが解ります。

瓦で葺かれた中国風の木造建築が連なるさまは、建築名称や配置をふくめて、その空間構成が北京紫禁城によく似ています。


140713-01     午門

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140713-03     大和殿

140714-04   乾政殿

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    九鼎


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チャンパの彫刻  VIETNAM

チャンパの彫刻は、シヴァ神、ヴィシュヌ神などヒンドゥー教の神々を中心に、人物、ゾウや牛などの動物がモチーフとなっています。
その特徴は、デフォルメされているが写実的な彫刻です。人物像はしなやかで優雅なポーズ、大きな目、情熱的な厚い唇をそなえています。

同時代の、カンボジアやインドネシアのヒンドゥー教寺院を飾る彫刻と類似しています。

ベトナム、チャンパ建築の遺跡を観ているとその荒涼とした姿に感じ入ることがあります。
今見ている遺跡は、祠堂の室内や外部を飾っていた石像彫刻などの装飾品を、はぎ取った残滓なのです。保全のためとはいえ痛々しいかぎりです。
博物館でスポットライトをあびて鎮座している彫刻類、もとの位置は
目線の高さにあったもの、祠堂の上の方にあり見上げる視線の位置に飾られていたもの
暗いところで見て欲しいもの、朝日の中で見て欲しいもの、さまざまです。
それら彫刻類をもとのあった位置に戻し、統一体として <神に捧げられたもの> を崇めるのが本来の姿ではないでしょうか。
ベトナム国内の博物館収蔵品の充実ぶり、さらに一級品の多くはフランスのギメ美術館にあるという現実、とプアーな遺跡の現況との落差がスタジオヤマには堪えました。

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   歴史博物館  Ha Noi


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   美術博物館  Ha Noi


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    歴史博物館  Ho Chi Minh


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    チャム彫刻博物館  Da Nang

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チャンパ建築 VIETNAM

ベトナムのフエ地方から南部にかけては、15世紀ごろまで、チャム族のチャンパ王国が支配し勢力を誇っていました。
王国の王都はダナン近郊のチャキュウに置かれ、チャキュウがチャンパ王国の政治の中心、ホイアンが経済の中心、ミーソンはチャンパ王国の聖域とされていました。
当時のチャム族はヒンドゥー教を信仰していました、したがってチャンパ建築はインド文化圏建築の特徴が顕著にみられます。

チャンパ建築の遺跡は、フエ以南の中部ベトナム各地に数多く残されています。

中でも最大規模でかつ保存状態がよいのはミーソン( Myson)です。
ミーソンでは、ベトナム戦争時の爆撃により相当数の遺跡が破壊されてしまいました、それでも8世紀から13世紀末までに建てられた、大小ふくめて70棟を超える遺跡が残っています。

チャンパ建築は、焼成レンガをセメントによる接着ではなく、摺りあわせによる構法により積上げ、少しづつレンガを迫り出し、内部空間を造りあげ全体としてマッシブな建築を造りました。

さらにレンガに彫刻による装飾を施し、石像を内部外部に配置し、建築を完成させました。

遺跡群の中で代表的な建築である祠堂の内部には、シヴァ神の象徴として男性器かたどった石柱状のリンガが置かれました。

ただし現状はリンガも石像もありません、事情は次回にブログします。


   チャンパ建築をさらに詳しく知りたい方へ

重枝豊日大教授の「チャンパ王国の遺跡と文化」を筆頭とする一連の著作。

入手ができれば MONUMENTS CAMS DE L’ANNAM が素晴らしい、ベトナム戦争などで破壊され今はわずかな痕跡しか残っていない遺跡を含めて、チャンパ建築のほぼ全容を網羅しています。平面図、立面図などのドローイングをみていると想像力をかきたてられます。


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My Son  VIETNAM
    

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交易都市ホイアン  Hoi An VIETNAM

ベトナムのホイアンは、トゥボン川の河口に位置している、歴史ある港町です。
今日、大勢のツーリストが訪れ、いまやお土産さん街の感がありますが、かつては違う顔を持っていました。
16世紀フエに広南阮氏政権が樹立されると交易の窓口港となり、中国人、日本人、ポルトガル人、オランダ人などが来航し、国際貿易港として繁栄していました。
当時1000人以上の日本人が暮らしていたそうです。
日本人が架けたといわれる屋根付きの来遠橋や、日本人墓地が残されています。

現存する華僑地区を中心とした街並みは、ベトナム戦争時代に破壊されることもなく、当時の状態が程よく保存され、その繁栄ぶりを今に伝えています。


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  ホイアン  Hoi An VIETNAM

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ペンタゴン  Bagan MYANMAR

ミャンマー、バガンの寺院・パヤーの基壇部平面形は四角形がほとんどです。
そうでないものもあります、Pierre Pichaard氏<The pentagonal monuments of pagan>によると、バガンにおいて五角形<ペンタゴン/Pentagon>の寺院・パヤーが17箇所ほど確認されているそうです。
ダマヤッズィカ・パヤーがその代表例です。
設計するにせよ、建設にするにせよ、四角形に比較して作業の難易度が格段に上がる五角形にするのはなぜでしょうか。
伊東照司氏<ビルマ仏教遺跡>の見解をベースにその理由をまとめると
ミャンマーの多くの寺院・パヤーは、四角形で各辺には仏が安置されています、仏は釈尊以前にこの世に現れたといわれる仏3体と釈尊・釈迦牟尼仏を加えた過去四仏です、ペンタゴン型の寺院・パヤーはこの過去四仏に加え56億7千万年後に人類救済のために出現されるとされる弥勒仏・未来仏も安置しているため、五角形になっています。
そうすると、過去七仏に対応した八角形、過去二十四仏に対応した二十五角形の寺院・パヤーがあるのかもしれません。
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Shwe kun char

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ミャンマー仏教の精華  Bagan  MYANMAR

最初のミャンマー統一王朝であるバガン王朝の都は、エーヤワディー川中流域バガンに置かれました、王朝は11世紀末から12世紀前半に最盛期を迎えました。
国力と急速に広まった仏教熱によりさかんに寺院やパヤーが建設されました、現存する仏教建築のほとんどがこの時期に建設されたものです。
そしていまに続くミャンマー文化の原型である熱心な仏教国となりました。
しかし、13世紀に元の進攻であえなくバガン王朝は滅亡しその後バガンは無数の仏教建築とともに放棄されました。
これら膨大な仏教建築の中からスタジオヤマお気に入りの仏教建築を選んでみました。
選択基準は建築史的重要性というよりフォトジェニックに重きをおいています。

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Ananda Temple

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Lawkahteikpan Pahto

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Thatbyinnyu Temple

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Gubyauknge

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Slsa Nar Paya

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Sulamani Temple

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Mahabodhi Paya

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Anauk Petleik paya

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Thilominlo Temple

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Nan Paya

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Thet kta muni Temple

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Gawdawpalin Temple

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131020_18  Shwesandaw Paya

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Shin bin tha hlyaung

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群としての仏教建築  Bagan MYANMAR

ミャンマー、バガンの仏教建築は個々の建築そのものの素晴らしさ、完成度の高さには驚嘆します。さらに数多くの仏教建築がわずか40平方Kmの地区に集積した<群としての仏教建築>の景観は世界に誇るべきものです。
実際バガンを訪れると、眼の前に広がる膨大な数の仏教建築に圧倒されます。
高さ60mを超えるタビィニュ寺院から、いままさに土に帰ろうとしている建築まで、その数はおよそ3000箇所を超えるといわれています。
スタジオヤマの持っているバガンの地図上には、100箇所を超える名前が記載されている仏教建築、その他に<1234><2234>と数字のみが記載されている無数の仏教建築があります。
現存する仏教建築が3000箇所を超える、ということが誇大な数値ではなく事実なのでしょう。
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Bagan  MYANMAR

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ミャウー王朝の仏教建築  Mrauk U MYANMAR

ミャンマーのミャウーは、15世紀から18世紀にかけてアラカン国ミャウー王朝の首都として繁栄しました。
数多くの魅力ある仏教建築が点在しバガンと並び称される聖都です。
ただし、ミャウーの仏教建築の数、規模ともバガンにはおよびません、また多くの人々が訪れるわけでもありません。
静かな仏教都市といったところでしょうか。
それゆえに落ち着いた環境のなかで過ごしていると、ミャンマー仏教が持つ本来の時空間に包まれ敬虔な気持ちになります。
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131006_3        Mrauk U MYANMAR
 
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      Zinamanaung

131006_5        Koe Taung Paya
    
 131006_06        Nyitaw Paya

131006_07       Andaw Thein Temple

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      Sittaung Temple

131006_09        Dukkanthein Paya

131006_10        Sakyamanaung Paya

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カラダン川  Mrauk U MYANMAR

ミャンマーのミャウーへ行く方法として外国人は陸路経由のアクセスを認められていません、

航空路線もありません、シットウェからの船旅が唯一の手段です。

シットウェは、バングラディシュと国境を接するミャンマー西部ヤカイン州の州都です。

ベンガル湾に注ぎ込むカラダン川河口に位置してます。

これが川?という形容がぴったりする茫洋としたカラダン川をスピードボートで2時間ほどさかのぼると、そこはミャンマー仏教の聖地の一つ<ミャウー>です。 
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   Karadan river  

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プロローグ

スタジオヤマ

Author:スタジオヤマ
---------------------------------
[時間][空間][写真]
[時間]とは歴史的な流れを
[空間]とは地球規模での拡がりを表しています。
スタジオヤマは時空を自在に
切り取る[写真]を通じ
自らの思慮を表現していきたいと思っています。
応援をよろしくお願いします。
スタジオヤマ
studioyama
一級建築士

ワークス
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